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【シリア 帰れぬ祖国】9 母の笑顔は希望

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 シリアの首都ダマスカス近郊の東グータ地区での爆撃が激しくなり、日本国内でも報道されています。昨年末、私の両親が避難先のサウジアラビアからシリアに戻ったこともあり、これ以上、戦闘が続かないことを強く望んでいます。

 シリアで内戦が始まってから、私は、両親と兄、2人の弟とともに、2014年2月にシリアを脱出し、サウジアラビアに逃げました。サウジアラビアには兄が住んでいたため、入国することができたのです。

 サウジアラビアの兄が、私に電話をかけてきて「シリアを出たいか」と聞いてきました。当時大学生だった私は、理由が分からないままシリアの警察に逮捕、拘留され、試験が受けられず、留年が決まっていた時でした。大学に戻って勉強を続けたい気持ちがある一方、また逮捕されてしまうのではとの恐怖もあり、どうしたら良いのか悩んでいました。

 兄からの電話で、私はシリアを捨ててサウジアラビアに行けるなら、この恐怖は終わらせられると思い、シリアを出ることを決意しました。

 簡単にはたどり着けませんでした。

 バスでヨルダンとの国境に着くと、政府の検問所で止められました。兵士が私のIDカードを見て、次から次へと質問をしてきました。何とか逮捕されずに切り抜けると、次はヌスラ戦線(反体制派と共闘する過激派組織)の検問所で止められました。私を狙い撃ちするかのように質問を浴びせてきました。「サウジアラビアに何をしに行くのか」「なぜ戦闘に参加しないのか」―。

 そんなやり取りが続いた後に解放され、ようやく上手くいくと思いましたが、それは間違いでした。

 しばらくすると、今度はヨルダンの警察に止められました。私の父の名前が、ヨルダン国内で事件を起こした人物と同じだという理由で、2時間も取り調べを受けました。どうなるのかと、本当に怖かったです。

 シリアの国境を越えた時、ようやく安堵できました。自分自身に言いました。「もうシリアには戻らない」

 シリア人にとって、サウジアラビアでの生活はとても困難なものでした。私たち家族は「訪問者」として扱われるので、仕事ができません。医療保険もありません。

 昨年末、私の両親は、シリアに戻ることを決めました。シリアの状況が良くなったからでもなく、内戦が終わったからでもありません。サウジアラビアでの生活を続けることが困難になったからです。シリアは安全ではありませんし、戻ることへの恐怖もあったでしょう。兄弟の何人かは反対もしました。でも、故郷には家や土地があり、周辺に知り合いもいます。

 今、両親はシリアで暮らしています。とても古い家ですが、自分の家や畑を見た後、サウジアラビアでは見せたことのないような笑顔を見せたそうです。

 幸い、故郷のダルアー地区は平和のようです。政府の締め付けも、かつてよりはマシになりました。私たち兄弟が毎月、送金できていますし、必要なものは畑で栽培もできます。

 母親の笑顔は、我々みんなを幸せにしてくれます。すべてのシリアの家族がシリアに戻り、愛する人たちと平和に暮らせることを望んでいます。(原文は英語)


アスィー・アルガザリ 1992年、シリアの首都ダマスカス近郊のダルアーで生まれる。内戦が始まり、2014年1月に姉夫婦が住むサウジアラビアに、両親らと脱出。その後、インターネットの交流サイトで道内在住の女性と知り合い、結婚を決意する。15年に来日して結婚後、配偶者ビザを取得して道内で暮らし始めた。1年半で日本語を習得し、現在は札幌市内で妻と2人で暮らす。(どうしん電子版のオリジナル記事です。随時掲載します)

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