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<金曜カフェ あのころこれから>漫画家ちばてつやさん 18年ぶり単行本、半生描く

 「立て! 立つんだジョー!」「まっ白に…燃えつきた…まっ白な灰に…」。数々の名文句を日本人の脳裏に刻んだボクシング漫画「あしたのジョー」は今年、連載開始から50年。国民的人気を誇る名作を生み出した漫画家ちばてつやさんは79歳になった。年齢を重ね、近年は執筆活動を抑えてきたが、2月に自伝的漫画「ひねもすのたり日記」1巻(小学館、1200円)を出した。“ちば漫画”の原点と言える戦争体験や、大ヒット作を飛ばした往事の思い出、現代の若き漫画家に望むことは―。漫画界の重鎮に聞いた。

 「ひねもすのたり日記」は、ちばさんにとって18年ぶりの新作単行本。漫画誌「ビッグコミック」に2016年1号から連載中の作品をまとめた。現在と過去を行き来しつつ、自伝風に物語を進める。

 今回発売された1巻は、旧満州(現中国東北地方)からの引き揚げ体験が中心だ。終戦の夏、ちばさんは6歳。両親や弟3人とともに、飢えと危険にさらされながら丸1年かけて日本にたどりついた。「6歳から7歳までの記憶が一番つらい。身近にいる人がバタバタ倒れたり死んでいった1年」と振り返る。

 つらい体験は、漫画家としての原点にもなった。逃避行の途中、父親の同僚だった中国人が3週間、一家を屋根裏にかくまってくれた。外に出られず暇をもてあます弟たちのため、絵を描き、物語を作った。「弟たちが『次、どうなるの』って聞いてくる。こっちも予想を裏切るような、あっと驚くような話にしたいし。漫画家になってからも同じですね」と笑う。

 命がけで日本にたどり着いたところで1巻は終わる。先走って“その先”を聞いてみた。

 漫画家デビュー後まもなくは少女漫画をメインに執筆していた。1963年に少女漫画誌に連載した「ユキの太陽」は、主人公の女の子の父親をアイヌ民族の猟師という設定にした。「インディアンや沖縄の問題もそうだけど、ちょっと悲しい運命を持って、ひっそり昔の文化を守りながら生きているのが神秘的に思え、あこがれがあった」

 その後、活躍の場は少年漫画、特にスポーツ作品へと移る。いわずと知れた代表作「あしたのジョー」は、68年から5年間、少年漫画誌「少年マガジン」に連載された。原作の故・梶原一騎さんとのタッグ。「私はどっちかというと明るい部分、梶原さんはちょっと影のある、大人の部分。人によっては水と油と言われたけど」。真っすぐなひた向きさを描くちばさんと、格闘技や裏社会に通じる梶原さんが、絶妙に融合し、人気作となった。

 主人公矢吹丈のライバル力石徹が激闘の末に亡くなると、“葬儀”が行われるなど社会現象になった。ファンから「この先展開はどうなるのか」と問い詰められたことも。「私は物語が最後どうなるかまで考えず、それぞれのキャラクターの日記を編み込むつもりでドラマを作っていた。明日のジョーだけど、明日のことは分からない」。そんな風に答えると「そんなことで作っているのか」とヤジが飛んだ。

 その後も「おれは鉄兵」「のたり松太郎」「あした天気になあれ」などヒット作を連発。多くはスポーツを題材にした。「汗をかいている人間、冷や汗だったり、熱い汗だったり、何かを一生懸命やろうとしている人間が好きなんです。どうしてもスポーツになりましたねえ」と感慨深げに振り返る。

 2005年から文星芸術大(宇都宮市)マンガ専攻で教授を務める。「ちばてつや賞」の選考で、後進の作品を目にする機会も多い。若手について「画力、演出力、キャラクターを描く力はすごい」と評価する一方、「時代のせいか、暗い作品が多いのが気になる」と言う。「もっと読んで元気になる作品がたくさん出てほしい」

 現在、北海道出身の漫画家が多数活躍し、漫画家を夢見る少年少女も数多い。彼らに送る言葉は?

 「漫画はそんなに材料はいらないし、場所もとらないのに、その辺の映画より感動するものをつくることができる。面白ければ世界中で読まれる、やりがいのある仕事。素晴らしい媒体なんだから、意欲をもって、自信をもって漫画に挑戦してほしい」(東京報道 原田隆幸)


 <略歴>ちば・てつや 1939年、東京生まれ。2歳で旧満州に渡る。終戦後日本に引き揚げ、高校時代に貸本漫画家としてデビュー。代表作に「紫電改のタカ」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」など。現在、文星芸術大教授、日本漫画家協会理事長。

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