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師と二人三脚、小平加速 女子1000メートル 3度目五輪で個人初メダル

 【江陵(カンヌン)五十嵐順平】二人三脚の末にたどり着いた五輪の表彰台だった。14日に行われた平昌冬季五輪スピードスケート女子1000メートルで、銀メダルを獲得した小平奈緒選手(31)=相沢病院=。日本の短距離のエースが「世界一の指導者」と教えを請うのが、網走市出身の結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)=信州大教授=だ。出会いから13年。2人の思いがメダルに結実した。

 2004年冬、長野・伊那西高3年だった小平選手は信州大の入試会場で、これ以上ないほど緊張していた。結城コーチの指導を受けたい一心で、当時、スピードスケートでは実績が少ない国立大を受験。「これで人生が決まると、どのレースよりも緊張した」と振り返る。

 小平選手は小学5年生の時、指導する姿をテレビで見て、結城コーチを知った。中学時代の進路相談では、高校ではなく「信州大に行きたい」と話したほど、その理論的な指導に憧れを抱いた。

 全国高校総体で短距離2冠という十分な実績を持って入学してきた1年生を、結城コーチは突き放した。「このままでは世界では通用しない」「滑りを変えるために来たんだろう」。自分で考えながら成長する力をつけるため、あえて厳しい言葉を投げかけた。

 国際大会で表彰台に上がったこともあるスピードスケート選手だった結城コーチは、自分の滑りを実験台に効率的に力を伝える滑り方などを分析してきた。探求心旺盛な小平選手は、その「結城理論」をぐんぐんと吸収。09年の大学卒業後も松本市内の病院に所属しながら結城コーチとの師弟関係を継続し、10年にはメダル候補としてバンクーバー五輪に初出場した。

 しかし、1000メートルで3位と0・08秒差の5位。4年後のソチ五輪は500メートルで3位と0秒13差の5位。メダルを手にするには何が足りないのか。「金メダリストに教われる外国のチームに行ってみたい」という小平選手の思いを受け止め、結城コーチは武者修行に送り出した。

 小平選手は強国オランダで2シーズンを過ごし、16年から再び結城コーチの下で活動。海外でもまれて精神的にもたくましさを増した小平選手は国際大会で連勝を続けた。「1人で2年間オランダに行こうとした覚悟が、今の強さを支えている」と結城コーチは語る。

 この日のレース。2位が悔しいのか、順位が決まっても大喜びする様子はなく、結城コーチとハイタッチするだけだった小平選手。「外に出てみて、結城先生が世界一の指導者だと思った」。師の素晴らしさを証明するのは、もちろん、得意の500メートルでの金メダルだ。

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