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【シリア 帰れぬ祖国】8 シリアの悲劇、何も変わっていない

 2018年が始まりました。

 私は大みそかの夜は仕事で、夜遅くに帰宅したのですが、妻が待っていてくれて一緒に新年を祝いました。北海道神宮にも行ってお参りしてきましたよ。とても寒くて人もたくさんいましたが、良い場所ですね。

 今年の3月で、シリアで革命(内戦)が始まってから7年になります。革命という言葉が適当ではないほど、国は悪い方向に変わってしまいました。国は荒廃し、多くの人が死にました。シリアを出て行った人は、難民として世界中で屈辱的な生活を強いられています。

 シリア国内では、新年を祝うような状況にはないと思います。日本のように、多くの食べ物やお菓子、お酒が食卓に並び、家族と一緒に年越しのカウントダウンのテレビ番組(紅白歌合戦のような恒例の大みそか番組はありません)を見ることのできる家庭は、どれほどあるでしょうか。シリアもこの季節は寒く、雨が多いのですが、温まるための燃料も十分ではないでしょう。内戦のせいで、ガスや電力も自由に使える状況にはありません。

 私は、今でもシリアの支配体制が変わることは必要だと考えています。特に、父親から大統領の座を継承し、現在も大統領のままでいるバシャール・アル・アサドのような人間は辞めるべきだと思っています。

 シリアは日本のように、選挙で「ノー」は言えません。大統領選挙は、国民が直接、なってほしい人に投票する仕組みではありません。まず議会が候補者を選び、国民はその候補者へ「イエス」か「ノー」を投票するだけです。

 2007年の大統領選挙の話です。投票は私の村でも行われました。結果が出る前から、みんなアサド大統領が勝つことは分かっていました。もし「ノー」と投票すれば、逮捕されたり、拷問を受けたりされかねないからです。

 でも、「ノー」と投票する人がいました。噂は村中に広がり、大きなニュースにもなりました。その人は以前、大統領選挙で「ノー」と投票し、1980年から20年間も投獄されていました。にもかかわらず、また「ノー」と投票したのです。ものすごい勇気だと思います。

 私は子どもの時、学校でアサドファミリーについて教えられました。私は疑問に思ったことを先生に質問しました。すると先生は「出て行け! 危険な奴め!」と怒鳴りました。シリアでは、政治に疑問を持つ子どもは危険な人物だと思われてしまうのです。

 しかも、警察向けに情報を流すことが好きな人までいます。誰が政治に不満を持っているのか、誰が大統領の悪口を言っているのか―。まるでスパイのように警察に情報を流します。そして、警察はその情報に従って人々を逮捕します。

 内戦が始まってからも、誰がデモに参加したとか、誰が政府に反抗的だとかの情報を警察に伝える人間がいました。

 私はかつて逮捕されたことがあります。取り調べを受けた時、「お前がデモに参加し、道でタイヤに火を付けたことは分かっている」と言われました。事実無根の話です。「そんなことはやっていない」と主張しましたが、まったく聞き入れてもらえず、「お前はやったんだ!」と言われながら、蹴られました。このような状況は、国内で今も続いています。

 日本国内で、シリアに関するニュースは以前より減ってしまいましたが、何も変わっていないことを知ってください。子どもたちは、武器と死の恐怖に直面しています。

 祖国が切り裂かれていくのを見るのは辛いです。家族のことを考えると辛く、会うことは難しいままです。

 だからこそ、私は今年も、シリアについてブログやレポートを書き、学校や大学などで講演活動を続けていくつもりです。幼少時代を過ごした家に帰るために戦います。いつの日か、何も考えず、ゆっくりと庭の木の下で横になれる日が来ることを信じて。(原文は英語)


アスィー・アルガザリ 1992年、シリアの首都ダマスカス近郊のダルアーで生まれる。内戦が始まり、2014年1月に姉夫婦が住むサウジアラビアに、両親らと脱出。その後、インターネットの交流サイトで道内在住の女性と知り合い、結婚を決意する。15年に来日して結婚後、配偶者ビザを取得して道内で暮らし始めた。1年半で日本語を習得し、現在は札幌市内で妻と2人で暮らす。(どうしん電子版のオリジナル記事です。随時掲載します)

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