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女子ジャンプの先駆者、コーチとして五輪へ 山田いずみさん

 2月9日に開幕する平昌(ピョンチャン)冬季五輪でメダル獲得が期待されるスキージャンプ女子。元選手で、2013年に全日本スキー連盟のジャンプコーチに女性として初めて就任した山田いずみさん(39)が、指導者として迎える2度目の五輪だ。現役時代は何をするにも「初めて」という枕ことばがついた女子のパイオニア。常に道を切り開いてきた競技人生は日本女子の歩みとも重なる。(運動部 須貝剛)

■沙羅と4年間話してきた。「平常心で、自分らしく飛んで」

 ――平昌五輪は、ジャンプ女子が五輪種目に採用されてから2大会目になります。前回14年ソチ五輪ではエースの高梨沙羅選手(21)=上川管内上川町出身、クラレ=が4位に終わるなど、日本勢はメダルを獲得できませんでした。

 「私はずっと、五輪でジャンプ女子が行われることを夢見ていました。ソチ五輪では全日本コーチとして、その舞台に立ててうれしかった。でもメダルがとれず、悔しさの方が大きかった。いい思い出があまりありません」

 ――全日本のコーチとは別に、13年から高梨選手の個人コーチも務めています。ソチ五輪の時の高梨選手は、大きなプレッシャーを感じていたそうですね。

 「メディアは普段とは比べものにならないくらい多かったし、雰囲気も独特でした。沙羅はソチ五輪が近づくにつれて、何度も『勝ちたい』『勝たなければいけない』と口にするようになっていた。それまで、そこまで勝利にこだわるような言葉を聞いたことはなかったんです。日本チームとしても五輪の雰囲気にのまれて、どこか冷静さを失っていたところがあったように思います。ソチ五輪で沙羅が2回目のジャンプを不本意な結果で終えた瞬間、涙があふれました。沙羅は試合後すぐに、会場で『メダルを見せてあげられなくてごめんなさい』と言ってくれた。それで、また号泣です」

 ――来月に迫った平昌五輪は、日本女子ジャンプ陣として初のメダル獲得に期待がかかります。

 「沙羅とは4年間かけて、いろいろ話をしてきました。『五輪は特別だけど、特別じゃないよね』と。メンバーは、毎年通年で開催されるワールドカップ(W杯)と同じ。『W杯の勝ち方は知っているよね』と。技術面はもちろん、私の大きな役割は、選手をいかにリラックスさせて、平常心で試合に臨ませてあげられるか。自分らしいジャンプで、日本選手にメダルを取らせてあげたいですね」

 ――高梨選手はソチ五輪前、「先輩たちが何もないところからつくり上げてきて、やっとできた舞台に立てる」と、山田さんらへの感謝の言葉を口にしました。

 「私は純粋にジャンプが楽しかったから競技を続けてきただけです。幼稚園の頃に友達に誘われ、自宅に近い札幌荒井山競技場に遊びにいったのがジャンプとの出会い。札幌ジャンプ少年団に入り、小学1年生で初めて飛びました。体が『ふわっ』と浮くんです。それが病みつきになりました」

 ――山田さんが小学生のころは、全国で女子選手は数人。大会には女子の部が無く、男子に交じって出場していましたね。

 「女子が少ないことは気づいていましたが、男子と一緒で困ることはありませんでした。試合でも男子に勝つことができていました。ただ、女子用の更衣室がなかったので着替えはいつもトイレ。小学校高学年くらいになると、面倒くさいなあと思っていました」

■惨敗の経験があるからこそ、勝てない選手に寄り添える

 ――札幌宮の丘中1年の時の国内大会で、日本人女子として初めて、札幌宮の森ジャンプ競技場のノーマルヒルを飛びました。

 「ジャンプ台の上でスタートの合図を待っていたんですが、合図のランプがなかなか点灯しなかったんです。『女の子を飛ばせてケガでもしたらどうするんだ』と大会関係者がもめていたらしい。そういう時代でした。根拠もなく『女の子がジャンプをしたら子供を産めなくなる』と耳にしたこともあります。中学時代に初めて、長野県で行われたサマー大会で女子の部が設けられました。出場者は私1人。1人で表彰台に上がりました。ジャンプ女子の第一歩かな、と思いますけど、当時は恥ずかしかったですね」

 ――男子に比べ、女子にはなかなか光が当たりませんでした。

 「ジャンプをやめようと思ったことは何度もあります。高校の頃からは、(体力的な差が顕著になった)男子と一緒の試合では、なかなか上位に入れなくなっていたし、女子の試合は少ない。何のためにやっているのかと悩みました。でもやっぱり飛ぶのが好きだから『もうちょっとやってみよう』っていう繰り返しでした。北海道女子短大(現北翔短大)2年だった1999年、国際スキー連盟(FIS)が欧州で始めた国際ツアーに参戦し、世界の女子選手と戦えるようになった時の喜びは大きかったです」

 ――国内では圧倒的な強さで「女王」と呼ばれ、2008年には当時最高峰の国際大会・コンチネンタル杯を日本人女子として初制覇しました。しかし翌年、初めて女子が行われた世界選手権は25位。直後に30歳で引退しましたね。

 「世界選手権は競技人生で一番ダメなジャンプでしたね。あんな惨敗は経験したことがなかった。でも、あの負けがあったから今、なんとかコーチでいられる。負けた苦しみを知らなければ、勝てない選手の気持ちに寄り添えないと思うんです。引退の決断にも悔いはありません。最初は、ほぼ1人だったけれど、最後はたくさんの女子ジャンパーに囲まれて、後を託せる選手も出てきましたから」

 ――山田さんを含め全日本選手権の女子に初めて2人が出場した00年から18年。昨年11月の選手権は38人が宮の森の空を飛びました。女子の競技熱は高まっていますね。

 <後記>「現役引退後、女子ジャンパーの横顔を紹介する無料の小冊子『美翔女(びしょうじょ)』を年2回発行し、ジャンプ競技場や道内のスポーツ用品店などで配布してきました。女子を盛り上げたいという思いで始め、これだけ女子ジャンパーが増えたことで、目的は一段落したかなと思っています。今後は引退する選手も増えてくると思いますが、彼女たちの第二の人生の受け皿はまだまだすごく小さい。何ができるかは分からないけれど、引退後の選択肢をいろいろ持てるような環境をつくっていければいいですね」

 山田さんは、6歳の息子の母としての顔も持つ。海外遠征などで長期間、自宅を空ける際は「いつも後ろ髪を引かれます」。息子が寂しさを我慢しているのが分かるという。「母親として一緒にいてあげたい」という思いと葛藤しながら、「コーチとして必要とされている以上は頑張りたい」と、選手とも親身に接して心身を支える山田さん。日本女子ジャンパーたちの「姉」であり、また「母」のような存在でもある。

 ジャンプ女子の五輪種目採用 2014年のソチ冬季五輪から採用された。国際オリンピック委員会(IOC)は10年のバンクーバー五輪での採用を見送ったが、その後、競技人口の増加とレベル向上を踏まえて採用を決めた。平昌五輪では、ソチ五輪と同じ個人ノーマルヒルが実施される。一方、国際スキー連盟(FIS)が主催する女子W杯は11~12年シーズンに始まり現在、年間15~20試合程度が行われている。

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