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<平昌へ 2人の物語>1 ジャンプの絆 高梨沙羅と伊藤有希 二枚看板、心通わせ成長

 初めて会った二つ年下の少女のジャンプに目を奪われた。十数年前、札幌市内の競技場。「踏み切りで素早く『バチッ』と立って、バネがあるジャンプをする子だなあ」。下川小の高学年だった伊藤有希の視線の先にいたのは、上川小の高梨沙羅。後に競い合うことになる2人のジャンプ人生が、この時、交わった。

■出会いは小学生

 脚光を浴びたのは、実は伊藤の方が早い。4歳からジャンプ台で飛び始め、下川小6年だった2007年、当時最高峰の国際大会・コンチネンタル杯で日本選手最高の3位に入り、一躍「時の人」になった。

 下川中に進むと「スーパー中学生」と騒がれた伊藤。小学生の高梨が自宅のテレビでよく見た先輩は輝いていた。「有希さんのように、私も世界で戦えるジャンプがしたい」。二つ年上のお姉さんの姿は、少女の成長の原動力になった。

 上川小2年でジャンプを始めた高梨の名が、広く知られるようになったのは上川中1年の09年。さまざまな国内大会で伊藤をはじめ、他の社会人や大学生を抑えて優勝するようになり、翌年の世界ジュニア選手権では高梨が7位、伊藤が17位。このころから、一歩先を高梨が飛ぶようになる。

■対抗意識はなし

 これは、伊藤の苦悩の始まりでもあった。15歳だった12年にワールドカップ(W杯)で初優勝し、昨季までに53勝を積み上げた高梨に対し、伊藤は同じ年の初出場から5シーズン、一度も優勝できなかった。下川少年団コーチとして伊藤を指導した父の克彦さん(50)は、娘の涙を何度も見た。ただ、高梨に勝てないことを悔しがっていたわけではないという。「自分に対しての情けなさなんです。例えば優勝できず3位でも、ジャンプが良ければ満足しているような子です」

 伊藤自身も高梨への対抗心を抱いた記憶がない。「今も昔もずっと追いかける存在。沙羅ちゃんが女子ジャンプをけん引してくれたおかげで、私のジャンプ人生がある」

 他の選手の存在に振り回されないのは「負けず嫌い」を自認する高梨も同じだ。「誰かに負けたくないのではない。『昨日の自分』に負けるのが一番嫌いなんですよ」。全日本コーチを務める山田いずみさん(39)も2人が互いを意識していると感じたことがない。

 幼いころから自分とだけ戦い、ストイックに理想のジャンプだけ追いかけてきた伊藤と高梨。ともに恵まれた身体や運動能力はない。「球技はできない。私にはジャンプしかないんです」。2人は苦笑いする。

■抱き合い悔し涙

 昨季、伊藤はW杯で5勝を挙げ、高梨と並ぶ平昌冬季五輪のメダル候補に浮上した。助走姿勢を見直し、受ける空気抵抗が高梨と同水準の低さとなり、前方に飛び出す際のスピードもアップ。早くにジャンパーの素質を開花させた高梨と、自分を「地道にいくタイプ」と言う伊藤。互いを認め合ってきた2人は2度目の夢舞台を前に肩を並べた。

 日本女子ジャンプの二枚看板は、2人だけで食事に出かける親友のような間柄ではない。ただ、中学時代から海外遠征で一緒に行動し、「家族のよう」(高梨)。そんな、いるのが当たり前の空気のような存在の2人には、どうしても忘れられない日がある。

 4年前のソチ五輪。高梨は4位、伊藤は7位に終わり、試合後、関係者以外は入れない控室で抱き合い、大粒の涙をこぼした。選手村に帰り、赤く腫れ上がったまぶたを氷のうで冷やしながら、どちらともなく言った。「また必ず、この舞台に戻ってこよう」。ジャンプで心を通わせた涙目の2人が、うなずきあった。(文・運動部 須貝剛、写真・北波智史)=敬称略


 <略歴>たかなし・さら 1996年10月8日生まれ。上川管内上川町出身。W杯で女子ジャンプが始まった2011~12年から昨季までの6シーズンで4度の総合優勝。世界選手権は13年銀、17年銅メダル。日体大に在学し、化学繊維製造大手のクラレ(東京)スキー部所属。


 <略歴>いとう・ゆうき 1994年5月10日生まれ。上川管内下川町出身。昨季W杯で初勝利を含む5勝を挙げ、総合順位で自己最高の2位。世界選手権は2015年、17年に2大会連続で銀。下川商高から13年に土屋ホーム(札幌)に入社し、45歳の葛西紀明の指導を受ける。

 2月9日に開幕する平昌冬季五輪まで1カ月余り。ライバル、姉妹、先輩と後輩、夫婦。夢に挑む「2人の物語」を紹介する。(4回連載します)

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