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<丹菊逸治> 樺太アイヌ、ウイルタ、ニヴフ「引き揚げ」 継承される先住民族の空間

 1957年の南極越冬隊の有名な「タロとジロ」は犬ぞり用の「樺太犬」だった。ニヴフ(かつてはギリヤークとも呼ばれた)や樺太アイヌといった先住民族が犬ぞりに用いた犬の子孫である。その訓練もニヴフの訓練師によって行われた。南極に響いた犬たちへのかけ声「トートー!」はニヴフ語による「前へ進め」という指示だった。1912年の白瀬隊による南極探検でも樺太アイヌの犬ぞりが使われていたから、半世紀たっても先住民族の技術に頼っていたことになる。それら先住民族の声は、その後どうなってしまったのか。

 ニヴフ、ウイルタ(かつてはオロッコとも呼ばれた)などサハリン(樺太)先住民族の文学を考えるとき、まずは「ロシア側」に住む5千人のニヴフ民族の一人、民族詩人ヴラディミル・サンギの名をあげなくてはなるまい。美しいロシア語で書かれた作品は日本語にも翻訳されている。彼の最新作『サハリン・ニヴフの叙事詩』(2013年、未訳)は、ニヴフ叙事詩のロシア語訳である。彼の最初の作品はプーシキン作品のニヴフ語訳だった。彼はニヴフ語でもロシア語でも美しい言葉を紡ぎだせる。

 彼の作品群は、ロシア人や日本人作家たちが先住民族に仮託して自らの思想を描いた文学とは異なる、ニヴフ自身の言葉である。

 日本でも、日本語とニヴフ語を駆使してニヴフ口承文学を語り残した人がいる。旧日本領樺太(南樺太)から第2次世界大戦後に「引き揚げ」という形で北海道以南に移住してきたニヴフ人は100人以上と考えられるが、その中にシャマン(伝統医師)の中村千代がいた。彼女は1950年代に言語学者に協力し、自らの伝承をニヴフ語と日本語の録音で残したが、うち日本語分が『ギリヤークの昔話』(92年、北海道出版企画センター)として刊行されている。驚くのは内容の網羅性である。氏族伝承や自身の家系の伝承、創世神話や動物物語まで多岐にわたる。彼女は民俗学者にも協力し、ニヴフの民具や伝統家屋「ドラフ」(網走市モヨロ貝塚館にある)を残した。

 ニヴフ民族と同じく「引き揚げ」たウイルタ民族は数百人にのぼる。北川源太郎(ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ)は網走に資料館「ジャッカ・ドフニ」(「宝の家」の意)を建設した。建物はウイルタ伝統住居の形式を取り入れたもので、収蔵品には自由にさわることができ、館長室では常にお茶が用意されていた。館は彼の没後、親族の北川アイ子館長のもと継続されたが、2010年に閉館し今は跡形もない。

 ニヴフ、ウイルタ両民族と同じくサハリンから「引き揚げ」た樺太アイヌは独自の文化と方言を持ち千人以上の人口を有していたが、19世紀から度重なる離散と流浪を経験している。「引き揚げ」後に言語学者に協力した藤山ハルら多くの語り手たちは樺太の思い出話を繰り返し語った。北海道に居場所のない「よそ者」扱いを受け続けた彼らは北海道各地に散らばった後、一部が再集結し自分たちの村を建設した。今では小さな集落であるが、それは彼らが懸命に手に入れようとした「樺太アイヌの土地」だった。

 樺太アイヌの集落建設、北川源太郎のジャッカ・ドフニ、中村千代の伝統家屋と網羅的な語り。それらが目指したのは、今日の先住民族研究でいうところの「先住民族の空間(インディジナス・スペース)」、つまり先住民族性が支配する領域・空間である。重要なのは経済規模でも面積でもなく支配の強度である。2020年の開業を目指し政府が胆振管内白老町に建設中の「民族共生象徴空間」とは異なり、小規模だからこそ自分たち自身の「先住民族の空間」たりえた。彼らの活動はその後も形を変えながら受け継がれている。世代を重ねた今、ニヴフもウイルタも表立って民族を名乗ることはほとんどないが、やはり自分たちの空間を懸命に確保しようとし続けている。

 <たんぎく・いつじ> 北大アイヌ・先住民族研究センター准教授)

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