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<藤元直樹> 【露伴、札幌農学校】明治の人工現実の系譜

 かつて北海道に西部劇の世界、アメリカのイメージを上書きした映画が次々と作られる時代があった。本連載の出発点に遡(さかのぼ)れば、ヨーロッパと北海道が重ね合わされた小説として原田康子『挽歌(ばんか)』、荒巻義雄『白き日旅立てば不死』が言及されている(本紙2015年4月21日夕刊)。

 北海道は、米国、欧州など様々な別の現実(レイヤー)を、価値中立な人工的なフィールドとして、その上に引き受けてきた。この系譜を遡って行くと、そこにアフリカの広野を幻視した文豪に辿(たど)りつく。

 中国の典籍への深い造詣を背景に長く文壇に重きをなした幸田露伴(1867~1947年)である。近代小説において初めてアイヌ民族を描いたとされる「雪紛々」を手がけたことでも知られる露伴が現実の北海道に関わった期間は、千島列島開拓にその生涯を捧(ささ)げた実兄の郡司成忠(ぐんじしげただ)に較(くら)べ短い。1885年、電信技手として後志国余市(現在の後志管内余市町)に赴くも、2年少々で職場を放棄して東京へ逃げ帰っている。

 そして、1892年、「国会」という新聞紙上で脱天と朗月の合作として「宝窟奇譚(ほうくつきたん)」なる小説の連載がはじまる。これがライダー・ハガードのアフリカ秘境探検小説『ソロモン王の洞窟』を北海道に重ねた翻案作品であった。同作は1897年、幸田露伴・瀧澤羅文(たきざわらぶん)の合作と名義を改め「文芸倶楽部」に一括再録されるも、その後、書籍化の機会を得ず、文学史の空隙に陥(お)ち込んだ幻の作品となっている。

 また、札幌農学校(北大の前身)の存在にも隠された系譜が見える。

 西洋文明へのキャッチアップを目指していた明治の日本は、多くの若者を欧米に留学させることを企図していたが、早くにコスト的な限界につきあたる。そこで選択されたのは、洋風の植栽に囲まれた擬洋風の建築物の中にお雇い外国人を立たせてヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)を構築することだった。ささやかな明治の人工現実は制服に洋服を導入することで一応の完成を見たわけだが、いかんせん東京にあっては、江戸と正しく地続きで、その効力は限定的であった。

 北海道の広大な大地に現出させられたが故にこそ、その魔法は遺憾なく発揮され、キリスト教に帰依する学生を大量に生み出すことにもなる。

 同時に、同校1期卒業生の大島正健(まさたけ)は、その札幌農学校の教壇に立ち、SF小説の父と目されるジュール・ヴェルヌ作品を英語のテキストとして使用し、それに魅(み)せられた原抱一庵(ほういつあん)は、学校を中退して作家活動にのめりこむ。小説を一切読まないという『日本風景論』の志賀重昂(しげたか)(4期生)が唯一愛読したのはダンリーの反ユートピア小説『シーザー記念塔』であった。

 2期生の内村鑑三は、7期生の弟達三郎とフラマリオンの未来小説『オメガ』を訳し、「近世の大著作と称すべく、科学的に二十五世紀の社界(原文ママ)、学術、宗教等を予言せしもの」と徳富蘇峰に売り込んでいる。

 在学期間は僅(わず)かとはいえ、『海底軍艦』によって近代日本SFの祖と語りつがれる押川春浪(おしかわしゅんろう)もまた札幌農学校に学んだ一人だ。

 「北」は、カジュアルにレイヤーを重ねうる「無地」の空間としての伝統を紡いできた。これは、文化に普遍的な価値を認め、美術館に「ホワイト・キューブ」と呼ばれる白く均質な展示場を備え、文脈から解放された展示と、その鑑賞体験を客観的で科学的に正しいものとする近代的な価値観と並行する。ところが今日、美術館=制度に内在する権威が作り出した歴史は批判すべきものとなった。事物に包摂された物語と環境、土地に根ざした固有の文化の称揚がはじまり、価値中立の「空白」神話は終焉(しゅうえん)を迎えたのである。

 それは現実的には「正しく」そして「良い」ことである。しかし、想像の世界での、行儀の悪い行き過ぎた妄想にこそ、変革をもたらす新たな価値の萌芽(ほうが)は見いだされる。

 文化を操作するという政治的には正しくない思考実験さえも一つの「伝統」として許容する特区。近代の中で、そうした選択肢を、北海道は獲得し、今もなお創造の沃野(よくや)を広げ続けている。

 <ふじもと・なおき> 1965年京都生まれ。東大大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程満期退学。文化資源学会会員。共編著に『怪樹の腕〈ウィアード・テールズ〉戦前邦訳傑作選』(東京創元社)、共著に『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』(慶応大教養研究センター)ほか。

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