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<夕張 黄色いハンカチ40年>上 炭鉱マチ 寄り添う名画

 山田洋次監督(85)の心には今も、同い年の俳優高倉健さんと2人で夕張の炭鉱に入った1977年3月の光景が刻まれている。坑内は30度を超え湿気でかすみ、汗で下着までびしょぬれ。炭鉱労働者は炭じんにまみれ黙々と石炭を掘り、ご飯に落ちる石炭のかけらを箸でよけて弁当を食べた。

 「地上に戻って健さんと『生き返った』と言い合ったなあ」。2人は危険な地下深くでひたむきに働く人々に触れて撮影に入り、高倉さんが夕張の炭鉱マンを演じた「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」は生まれた。公開から10月1日で40年となる。

■健さんが熱演

 作品は第1回日本アカデミー賞、キネマ旬報賞など映画賞を総なめ。高倉さんは任侠(にんきょう)映画のスターから一転、元妻をいちずに愛す男を熱演し支持を広げ、山田監督は「男はつらいよ」に並ぶ代表作を得た。作品は2人の転機になった。

 山田監督は、山の斜面を木造の炭鉱長屋が埋め尽くす光景に引かれ夕張を舞台に選んだ。「実に立体的で絵になった」。もともと炭鉱マチと夕張に愛着があった。中国から引き揚げ山口県で貧しく孤独な日々を過ごした少年期、県内の炭鉱でアルバイトし労働者にかわいがられ酒を勧められた。荒々しいが不思議な温かさがあった。助監督時代に夕張を訪れ、それを思い出した。

 スタッフが主演候補に高倉さんを挙げた時、やくざ映画の印象しかなかった。でも出演作を見直し「まなざしに宿る光」に演技への真摯(しんし)な姿勢を感じた。会って作品の構想を説明すると返事は一言「いつ体を空ければいいですか」。山田監督は「男がほれぼれする俳優なんだな。健さんは」。

■節目に初上映

 映画公開数年後から夕張は過酷な運命をたどる。81年に北炭夕張新鉱ガス突出事故が起き93人が犠牲に。中には山田監督が炭鉱マンの心意気を聞かせてもらった人もいた。事故を機に炭鉱は次々閉山。夕張市は2006年に財政破綻した。

 夕張の最後の良き時代をたたえる名画は市民にとって故郷への愛着と誇りの象徴となったが、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」は2010年、20回目の節目を迎えるまで一度も上映しなかった。

 「夕張の宝物だからこそ安易に上映できなかった」と映画祭に長年携わった沢田直矢さん(49)。「黄色いハンカチは夕張がつらい時、いつも市民に寄り添い心の支えだった」と言う。

 一方の山田監督も「40年間、夕張をはらはらしながら見守ってきた」。作り手と撮影地の間の長年の「相思相愛」の関係。それもまたこの映画が示す「幸福(しあわせ)」の一つの形に違いない。(夕張支局の藤田香織里が担当し、3回連載します)

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