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時計台について

時計台について

時計台ライブカメラ
   札幌の歴史を刻んできた札幌時計台の現在の様子を、北海道新聞社に設置した定点観測カメラで中継しています。

  時計台ライブカメラは、正時ごとに時計台の鐘の音が鳴ります。

※Linuxなど一部のパソコンでは映像が映らなかったり、音が鳴らない場合があります。Windows XP、Vistaで映像がご覧いただけない場合、Sun Microsystems WebsiteからJ2SE JRE v1.6(Sun Microsystems製Java VM)をインストールしてください。

  鐘の音は、「響け『時計台の鐘』」の著者で、前川公美夫氏(元・北海道新聞文化部長)が2001年5月4日午前0時に収録したものを使用しています。鐘の音の無断転載、2次利用を禁じます。

地図 <カメラ設置場所>
北海道新聞社 北1条館 7F
札幌市中央区大通西3丁目6
 

   時計台ライブカメラは、カメラの向きやズームなどを操作することができます。

  右図の「1」のボタンをクリックすると、ボタンのすぐ上が緑色に変わり、1分間カメラを操作できるようになります。他の人が操作している場合は、ボタンのすぐ上に操作できるようになるまでの待ち時間が表示されます。

  「2」の部分を操作すると、ズームができます。「3」の部分でカメラの上下を、「4」の部分でカメラの左右方向を操作します。

札幌時計台
   札幌の歴史と共に歩んできた「時計台」は、市街地中心部にあって開拓当時の札幌の様子を今に伝えてくれる、貴重な存在となっています。

 この建物が札幌農学校(現在の北海道大学)の演武場として、現在地のわずか北側に建てられたのは1878年(明治11年)のことでした。基本設計を行ったのは農学校教師ウイリアム・ホイーラーで、故国アメリカの工法が用いられており、正面の入り口真上に時計塔が据え付けられたのは、創建から3年後のことです。
明治時代の時計台
明治時代の時計台(演武場)

 農学校は1903年(明治36年)に札幌駅の北西に広がる現在の北大キャンパスに移転しました。そのとき時計台は札幌市に移管されて現在の場所に移されました。その後は図書館として使われるなど、市民により親しまれる存在となりました。

 周囲に響きわたるその鐘の音は札幌市民の生活と共にあり、1963年(昭和38年)11月3日に制定された「札幌市民憲章」にも、「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」とうたわれています。1970年(昭和45年)には重要文化財の指定を受けました。

 いま1階には札幌の歴史を語る展示がなされ、ワンフロアをフルに使える2階は、連夜、音楽会、講演会などの催しでにぎわっています。
(前川公美夫)

 名曲「時計台の鐘」 誕生の経緯をたどる
 
本の表紙

響け「時計台の鐘」  前川公美夫著

 「♪時計台の鐘が鳴る…」というフレーズで始まる名曲「時計台の鐘」はバイオリニスト高階哲夫(富山県滑川市出身)の作詞・作曲で、高階がアルト歌手の妻ます子(旧姓相沢。後の村井満寿)と共に札幌で開いた演奏会がきっかけになって生まれました。

 2人は共に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)出身の新進で、札幌はます子の故郷でした。しかし、演奏会は新聞で酷評を受けました。落胆した高階を慰めようと豊平館食堂の杉山正次が種羊場などを案内し、気を取り直した高階が札幌の街の印象をまとめたのがこの曲です。

 これまで、こうした“物語”は伝わっていても詳細ははっきりしていませんでした。本書は、新聞の酷評発見をもとに曲誕生までの経過をたどり、きっかけとなった演奏会は1923年(大正12年)に開かれ、曲は幾度もの手直しを経て1927年(昭和2年)に楽譜が出版されたことを明らかにしています。
(亜璃西社刊、2000円=税別)

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