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テニアン 平和の島を求めて

動き始めた島民たち (2008/08/13)

日本留学時代に世話になった家族をもてなすメンディオラさん(右から2人目)

 テニアンで暮らした日本人は厳しい過去を引きずっている。

 この島を基地とした海軍第一航空艦隊の元パイロット、宮坂栄治さん(81)=宗谷管内枝幸町=は右足の古傷が痛むたび、米軍の猛攻撃を思い出す。一九四四年(昭和十九年)、ヤップ島転属後の空襲で爆弾の破片が直撃。消毒液もなく、ヤシの実の液を傷口にかけた。十七歳の時だった。

 「戦争は愚かな行為。その痛さ、悲しさを伝えるのが自分の使命」。反戦を掲げる「枝幸九条の会」で講演するなど南の島での戦争体験を語り継いでいる。

 元大学講師の末吉厚さん(77)=横浜市=は「飛行場造りで一緒に石運びをした同級生は出身地の広島に引き揚げた。テニアンから飛び立った原爆であの女の子はどうなったのか…」。戦後、南洋の故郷を三度訪問した。

色あせる歴史

 サイパンやテニアンへの慰霊墓参団は毎年続けられているが、参加者はピーク時の千人から二百人ほどに減少。元島民や遺族の高齢化で、南の島々と日本を結んだ歴史は色あせつつある。

 テニアンの北西部、巨大な十三基のアンテナが南太平洋を越えてアジアをにらむ。広大な敷地は、「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)、米国の国営短波放送の施設だ。

 人口約三千人ののどかな島に不釣り合いな厳重警備。「中国語や朝鮮語、ポルトガル語で二十四時間電波を流している」と島民が明かした。

 テニアンはスペイン次いでドイツの支配下から第一次世界大戦後、日本の委任統治領に。水源が乏しく無人に近かった島の開発のため沖縄などから移住が始まった歴史がある。

被爆地と連帯

 現在はサイパンなどと北マリアナ諸島(米国自治領)を構成。島の総面積百平方キロの七割を米国に貸与する協定を結び、沖縄駐留の海兵隊の軍事演習も行われる。

 カジノを売り物にする香港資本のホテルが十年前に開業したが、観光産業は低迷。沖縄駐留米軍の再編に伴うテニアン移駐を期待する声も聞かれる。

 エンジニアのジェームス・ミヤハラ・メンディオラさん(32)の祖父は元テニアン市長として、島の米軍基地化に長年反対し続けた。その血を継いで数年前から広島、長崎と連帯する平和の祭典を組織している。

 「国同士の争いに金を出すほど愚かな事はない。この小さな島でもできることはあるはず」。平和を求める動きは静かに芽生えている。

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