<上>市民参加 陸自依存脱し原点に(2009/02/03)
ケレン棒を使い雪像の表面を削る学生から、作業の進み具合を聞く土屋さん(右)=大通西10丁目 |
冬の祭典「第六十回さっぽろ雪まつり」が五日、札幌市中央区の大通、すすきの、東区のつどーむの三会場で開幕する。戦後、市民手づくりで始まったまつりは年々規模を拡大し、世界有数のまつりに成長した。一方で、大雪像作りを担ってきた陸上自衛隊の支援縮小や市民離れなど課題も抱える。六十回の節目を機に、課題と展望を探る。
ザッ、ザッ、ザッ−。長さ約一メートルのケレン棒が、堅い雪の表面を削る。“雪の建築”とも言われる大雪像作り。作業員の緻密(ちみつ)な手さばきが、白い雪に命を吹き込む。
「オオワシの羽は思い切って彫ったほうがいいよ」
第六十回さっぽろ雪まつり開幕を間近に控えた札幌・大通公園の西一〇丁目。地上十メートルの足場の上で、土屋知さん(27)が指示を出す。NPO法人「北海道の地域文化を守る会」が担当する大雪像「北の動物家族」の現場だ。
規模維持が使命
高さ十五メートルに及ぶ大雪像はまつりの華。今年も「浜松城」「南大門」など四基が大通会場を彩る。この製作は、長く陸上自衛隊に支えられてきた。
そこに今年、新顔として参入したのが、札幌の企業や元公務員らが設立した「守る会」だ。四基のうち「北の動物家族」を作る。土屋さんはまつりの警備を請け負う会社に勤務し、社から同会に派遣された。ボランティアらをまとめる班長を務める。その土屋さんを指導するのは、陸自で三十年にわたり大雪像を作ってきた森岡孝友さん(55)だ。「技術のすべてを彼らに注ぎ込む」と力を込める。
一九五〇年に産声を上げたまつり。高度成長、札幌冬季五輪を経て右肩上がりに拡大した。今や国内外から二百万人が訪れ、巨大な経済効果を札幌にもたらすイベントだ。「雪まつりの規模を維持する。それが使命だと思ってます」。同会事務局長の小田桐久紀さん(58)は言う。
マンネリを打破
陸自はかつて大通、真駒内両会場に計十基の大雪像を作った。だが、第一一師団の旅団化などで支援体制は徐々に縮小してきた。「いつか手を引くのでは」。そんな不安が関係者の間に流れる。
大雪像の初登場は第四回の五三年だ。凱旋(がいせん)門の上に、アイヌ民族の儀式イオマンテを飾った作品「昇天」。作ったのは伏見高(現札幌工業高)の生徒たちだった。守る会の誕生は、自衛隊に「おんぶにだっこ」(実行委幹部)の雪まつりを、市民の手に引き戻す萌芽(ほうが)とも言える。小田桐さんは言う。「雪まつりを支えるのは市民という原点に返りたい」
「商業主義でマンネリだ」という厳しい指摘もある雪まつり。その現状を打ち破る市民の動きが、静かに始まった。
◆過去最大の大雪像
1972年、第23回、真駒内公園のオリンピック会場に登場した「ガリバーようこそ札幌へ」だ。高さ25メートル。5トントラックで1300台分の雪を使った。冬季五輪を控え、世界各国の選手達を歓迎した。現在の大雪像はおおむね高さ15メートル。雪の量は300−700台分だ。







