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北海道への避難 その後

津波で水没を免れた家族写真を持つ伊藤さん。「家族や仲間に支えられ、今がある」と感謝する=札幌市東区の道営住宅の自宅で
 カザフスタンから1997年に永住帰国し、宮城県石巻市に住んでいた残留邦人の伊藤実さん(84)が東日本大震災で被災、札幌へ引っ越し、初めての冬を迎えている。震災から10カ月余。「死に際に立ち会えなかった両親の墓を守らず故郷の東北を離れるのはつらいが、もう前を向きたい」と“第三の故郷”で生きる決意を誓う。(長谷川紳二)

 札幌市東区の道営住宅に暮らす伊藤さんの居間の壁には、水でふやけた一枚の写真が飾られている。海外で暮らす長男や長女、次女とその夫、孫、ひ孫たちの集合写真だ。

 「この写真は奇跡的に津波で泥まみれにならずに助かった」と目を細める。

 昨年3月11日、当時住んでいた借家でテレビを見ていた時、強い揺れが襲った。避難のサイレンは聞こえず家にとどまっていると、約1キロ離れた海岸から津波が押し寄せてきた。黒くよどんだ濁流は家にも入り水位がみるみる上がった。

 「もうだめだ」。食卓のテーブルの上に座り、天井まで水が届く想像をして、恐怖と寒さで震えた。結局、水位は1メートル20センチほどで止まったが、テーブルの上で一晩明かした。

 翌日、近くの小学校へ避難。2週間後に残留邦人の帰国支援に携わる知人が安否を気遣い、学校に来てくれた。

 NPO法人「日本サハリン同胞交流協会」(東京)に、旧ソ連圏からの永住帰国者が多い札幌への移住を勧められ、4月上旬に引っ越した。飛行機代や自宅の家具はすべて、同協会のカンパで用意してもらった。

 伊藤さんが気がかりなのは両親のこと。父親は約40年前、母親は21年前に他界、石巻市の高台に墓がある。先に樺太(サハリン)から引き揚げていた両親は、伊藤さんが機関士の仕事の関係で抑留され、カザフスタンへ移送された後も「息子は絶対に生きている」と信じてくれたという。

 「震災でも両親に守られた気がする」と伊藤さん。水没せず残された家族写真を胸に、札幌で新たな一歩を踏み出した。

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