3・11 東日本大震災から半年
一人じゃない、胸に 家族の絆、より強く (2011/09/11)
店舗水没、機械流失… 道内の被災者
東日本大震災の発生から11日で半年。津波に襲われた道内の被災地では、漁業者や商店主らが自らを奮い立たせ、深刻な被害から立ち直ろうとしている。一方、東北の被災地からの避難者は3千人を超えた。家族と離れ離れの暮らし、かさむ生活費−。多くの人が困難を抱えながらも、乗り越えようとしている。「普通の生活を取り戻したい」。被災者の思いに応えるには、息の長い支援が必要になっている。
函館朝市の食堂経営・日下さん 「全国から勇気もらった」
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| 店の前で「今、店をやれていることが本当に幸せ」と話す日下隆二さん(石川崇子撮影) |
【函館】午前5時半、函館朝市。食堂「味の一番」を営む日下隆二さん(53)が、黙々と開店の準備を始めた。
津波の被害を受け、閉じたシャッターに「ガンバレ東北」「ガンバレ朝市」と書いてからほぼ半年。建て替えた新しい店の看板には、新たなメッセージが添えられている。
「ありがとう。今があるのは みんなのおかげ 感謝の気持ちで やってます。」
「繋(つな)がる想(おも)い いっしょに 前へ一歩。」
「ありがとう−」は20年近い付き合いの函館市内の看板業久保竜治さん(54)が日下さんの思いをくんで考え、「繋がる想い−」は日下さん自身が心境を率直に表現した。「この半年、人の温かさに支えられました」。日下さんは看板を見上げ、何度もうなずいた。
朝市に店を構え、妻睦子さん(48)と切り盛りして22年。約160平方メートルの店は東日本大震災の津波で厨房(ちゅうぼう)から、いす、テーブルまですべて水没した。すぐに店を開けるつもりだったが、浸水で壁の断熱材が駄目になり、建て替えなければならなかった。
東北の被災地の様子をテレビで見て、「自分たちの方がましなんだ」と自らに言い聞かせ、泣きながら睦子さんと店を片付けた。シャッターにスプレーで「ガンバレ」などと書いたのは、震災から約1週間後。胸に去来する複雑な思いをひっくるめた。
4月、やっと改修工事が始まった。「気持ちが折れそうになると、いつも誰かが背中を押して勇気をくれた」。震災翌日に長靴をはいてがれき撤去を手伝いにきてくれた市内の常連客、全国から届く手紙や見舞金、朝市の仲間の励まし。看板業の久保さんは「応援してくれるみんなのためにも、前を向いてほしい」と元気づけた。
5月中旬には、ここ数年の常連である名古屋市内の弁当店の社長や従業員ら十数人が「この店のために1円でも多くお金を使いたい」と、2日間で3回食事に来た。店は再開前だったが、「本当にありがたかった。刺し身や焼き魚など、その時出せるものを精いっぱい提供しました」と振り返る。
6月1日、店はオープンした。朝市約280店の中で最も遅い再開。建て替えや内装に約2千万円かかった。
店内に津波の跡は全くない。店の片隅に張られた震災当時の写真を見て、函館に津波被害があったことを初めて知る観光客も多いという。客足は徐々に戻り、7、8月は昨年を上回った。
店の再開後、手紙や見舞金を寄せてくれた全国のお客さんに、手紙と看板の写真を送って感謝の気持ちを伝えている。「一人一人への感謝を胸に、これからも頑張っていきたい」。日下さんはきょうも張り切ってのれんを出す。(函館報道部 伊藤美穂)
えりものコンブ漁師・川村さん 「息子のため負けない」
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| 「息子が一人前になるまで、なんとしてもコンブは続ける」と話す川村勉さん(北野清撮影) |
「コンブやらねばメシも食えねぇ。津波でやられたからって、やめるわけにはいかねぇんだ」
日高管内えりも町新浜のコンブ漁師川村勉さん(82)は、海沿いに立つ自宅横の「コンブ小屋」で、半年前の出来事を思い出しながら言った。
あの日もコンブ小屋で作業をしていた。地震には気づかなかったが、テレビで津波警報が出たのを知った。妻や孫たちは高台に避難した。しかし、川村さんは海の様子を見るために残った。
「60年漁師やってて、津波が家の玄関先まで来たことはなかった。だから、油断があったんだな」
波は湧き上がるように、あっという間に護岸を超えた。自宅裏の崖の上に逃げようとしたが、腰まで海水につかって思うように走れない。「あぶねー」と思った瞬間、背後から水をかぶった。その後の記憶は途切れている。
大きな波に巻き込まれ、崖の上まで押し上げられたらしい。たまたま近くにいた近所の住民が引き上げてくれた。「あのとき、助けてもらわねば、今ごろはあの世だったなぁ」と苦笑いする。
命は助かったものの、津波はコンブ小屋のドアや窓を壊し、内部をめちゃくちゃにした。コンブ乾燥機などの機械類は流され、漁船2隻のうち1隻は船外機が壊れた。何より、前浜のコンブ干し場ががれきの山となり、流された砂利をあらためて敷き直さなければならなかった。
「それでも、コンブをやめることは考えなかったね」
町内のサケ・マスふ化場に勤める五男の伸也さん(35)が、4年ほど前からコンブ漁を手伝うようになった。いずれは後を継ぐ予定だ。「まだまだ、教えなきゃならんことが山ほどある。漁師の仕事は口でどうのこうの言っても分かんねぇから。息子が一人前になるまでは、やめるわけにいかねぇのさ」
震災後、コンブ小屋を修理し、新しいコンブ乾燥機を購入した。コンブ干し場も約30万円かけて整備。一度は住めなくなった自宅も改修した。壊れた船外機は修理に70万〜80万円かかると言われ、仕方なく漁船1隻で漁をしている。
「えらい出費だった。でも、息子が継いでくれると思えば大したことではないよ」
コンブ干し場には、きれいな砂利が再び敷き詰められた。天気の良い日は、黒々とした分厚いコンブが並ぶ。そのコンブを一本一本いとおしむように触りながら、川村さんは笑った。
「拾った命だから大事にせねば。これからは息子のために漁をやっていく。津波なんかに負けてられん」(編集委員 坂本和之)
妻子は札幌に避難
南相馬市の水谷さん 不安…乗り越えられる
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| 札幌に慣れてきたという水谷直巳さん(中央)、祐介君(左端)、真美さん。真美さんは冬を楽しみにしている(中村祐子撮影) |
札幌市白石区の主婦水谷直巳(なおみ)さん(40)は東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を避け、福島県南相馬市から避難してきた。学校であった出来事を話す息子と娘の笑顔を見ながら、毎日のように自分に問いかける。
「これで良かったんだよね」
水谷さん一家は直巳さん、夫の智(さとし)さん(49)、長男祐介君(13)=北白石中1年=、長女真美さん(11)=北白石小6年=の4人家族。智さんは福島県いわき市のスポーツ用品店で仕事を続けるが、直巳さんら3人は9月中に住民票を札幌に移すことを決めた。「福島に帰りたい」との思いに区切りをつけるためだ。
一家が札幌に避難してきたのは3月22日。南相馬市の自宅は福島第1原発から25キロで、緊急時避難準備区域にある。地震の被害はほとんどなかったが、子どもへの放射線の影響が心配で、直巳さんの実家がある札幌を避難先に選んだ。数日後、智さんだけが仕事のため、福島に帰った。
直巳さんら3人が震災後初めて福島に戻ったのは7月下旬。震災で開かれないままだった祐介君の小学校の卒業式に出席するためだ。智さんに会うのは4カ月ぶり。真美さんは駆け寄って来た智さんのおなかに触れ、「前と変わらずボヨンてした。でも、少し頭に白い毛が増えたなと思った」。
卒業式には卒業生79人のうち73人が集まった。「みんなにお別れも言えないまま避難したから、久しぶりに会えてうれしかった」と祐介君。友達の笑顔は変わらないままだったが、それぞれの避難先で新しい生活が始まっていた。
「みんなバラバラになっちゃったんだなぁと思った」
南相馬市の自宅で家族4人で過ごした6日間はあっという間に過ぎた。別れの日、フェリー乗り場で智さんは子供2人に「ケンカするなよ」と声を掛け、笑顔で別れた。自宅へ帰るまでの運転中、ふと「次はいつ会えるか」と不安が頭をよぎったが、好きな音楽をかけて気を紛らわせた。その日はたくさんの家族写真が飾ってある部屋に布団を運び、写真に囲まれるようにして眠った。
智さんは1人暮らしを始めてから、仕事漬けの毎日を送る。「1人で家にいると考えてしまうから」。たまの休日に、子供と遊んだ南相馬市の公園を1人で歩いたことも。「ここには思い出がありすぎる。本当に震災が憎い。ずっと家族一緒のはずだったのに」
直巳さんら3人の札幌移住は夫婦で何度も話し合い、家族のために出した結論だった。結婚14年。離れ離れの生活に不安がないと言ったらうそになる。直巳さんは「そばにいない分、電話がない日はどうしたのかなと心配になる。このまま離れちゃうんじゃないかと考えるときだってある」と打ち明ける。
水谷さんは義援金や東電の仮払い補償金などの支援を受けているが、今月中にも予定される緊急時避難準備区域の指定解除で今後はどうなるか不透明だ。家賃無料の公営住宅も来年3月には原則として出なければならない。夫婦の不安はつきないが、子供たちのことを考えると「頑張らなきゃ」と思う。
祐介君は福島では少年野球チームの投手として活躍した。北白石中でも野球部員。8月の試合で初登板し、敗れたが、六回まで無失点に抑え「先輩にほめられた」という。「お父さんとキャッチボールができなくなったのは寂しいけど、札幌でレギュラーになりたい」と目を輝かせる。
真美さんは夏休みの自由研究が札幌市の社会研究作品展に出品される。タイトルは「東日本大震災の記録」。南相馬市の写真などを使って、自分たち家族が避難してきた様子などをA3判のリポート用紙20枚にまとめた。真美さんは「津波の怖さとか、札幌の友達に伝えるのが真美の役目。札幌の友達も大好きだから」と話す。
水谷家の新たな日常は着実に前へ進んでいる。智さんは今月下旬、札幌に住む3人に会いに来る。「家族4人で過ごす当たり前だった日常が震災以降、特別なものになった。3人がどんな生活を送っているのか見たい」
福島と北海道。離れ離れの生活が続くが、乗り越えられると信じている。この6カ月、いつも4人で乗り越えてきた。(報道本部 根岸寛子)
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