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岐路 大間はいま

「原発事故は人ごとではない」。サメ漁の準備をしながら訴える近江さん

 東日本大震災後、電源開発(東京)による大間原発の建設が中断して8カ月余り。立地する大間町では経済が停滞し、閉塞(へいそく)感と焦りが広がる一方、原発推進一色に見えた住民に変化も出てきた。津軽海峡を挟み最短23キロの函館をはじめとした道南では市民レベルの反対運動が広がる。営業運転開始予定の14年11月まであと3年。建設再開か、脱原発か−。岐路に立つ大間の今を追った。(函館報道部の内本智子、渡辺創が担当し、5回連載しました)

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 「福島の事故を見て、目を覚まさない人はいないよ」。11月上旬の朝。青森県大間町の漁師近江松夫さん(67)は、大間原発から約3キロの自宅作業場で、アブラツノザメはえ縄漁に使う仕掛けを準備する手を休め、言った。

「ゼロに戻すべ」

 「個人の力は小さくても、わ(私)の声を振り絞り、大間原発の建設をゼロに戻すべと訴えたい」

 天気が良ければ、海峡越しに函館の市街地が見渡せる本州最北端の町・大間。マグロやコンブの不漁が続き、出稼ぎが生活を支えていた1970年代半ば、「地域振興の切り札に」とマチを挙げて原発推進へ向かった。

 これまで町にもたらされた原発立地に伴う交付金は約108億円。建設関係など何らかの形で原発にかかわる町民も多い。人口6千人余の町では親類縁者のしがらみの中で、原発批判をタブー視する雰囲気が強くある。近江さんはもともと原発に反対だったが、漁協が原発受け入れに傾いた80年代以降、胸に閉じこめてきた。

 「懇談会を開いて、あらためて町民の声を聞いた方がいい」。福島事故から2カ月ほどたったある日、近江さんは大間港で偶然会った金沢満春町長に思い切って声をかけた。後援会員として選挙で応援した責任があると思ったからだ。返ってきたのは笑顔だけだった。

 反対を口にし始めたのは近江さんだけではない。30代のマグロ漁師は「函館の(大間原発建設差し止めを求める)裁判は、建設中止になるまでやってもらいたい」と話す。

 だが、町の「原発推進」方針は揺るがない。今月24日の町議会大間原発対策特別委員会。金沢町長が「今月中に、国に工事早期再開の要望を行いたい」と提案すると、全町議10人のだれからも建設見直しの声は出なかった。「建設を考え直すよう求める声は町内で聞いたことがない。逆に、早く工事を再開してほしいという声が圧倒的に多い」。金沢町長は断言する。

25年ぶり学習会

 町議会特別委があった24日の夜、町立公民館で原発学習会が開かれた。主催したのは「大間原発に反対する会」。学習会の開催は実に25年ぶりだ。

 同会の前身「大間原発反対共闘会議」は76年に多くの労組員で発足したが、「大間原発を考える会」と名前を変えた20年ほど前からは佐藤亮一会長(75)と奥本征雄事務局長(66)の2人だけで、町内の反原発地主だった熊谷あさ子さん(2006年に死去)を支援するなどの活動をほそぼそと続けてきた。08年に原発が着工すると「大間原発に反対する会」と再度名前を変えた。

 その奥本さんに顔見知りの同年代の主婦から突然、電話がきたのは5月。「何か動いて」と頼まれたのが学習会のきっかけになった。

 当日は漁師や子育て世代の女性ら10人が、放射能被害の現状を語る福島県の講師の話に聞き入った。40代のパート従業員の女性は「子供がいるので、母親仲間では『このまま原発ができなければいいね』と言い合っている。今日の話は皆にも伝えたい」と話した。

 奥本さんは言う。「参加者は少なかったけれど、一般町民から声が上がったのは初めて。潮目は変わりつつある」


 大間原発
 国内最大級の出力138万3千キロワットの改良型沸騰水型軽水炉。使用済み核燃料から取り出したプルトニウムと、ウランの混合酸化物(MOX)燃料を100%使用できる世界初の商業炉として、電源開発が2008年5月に着工した。東日本大震災発生後、工事進捗(しんちょく)率37・6%で建設は中断。同社は現在も公式には13年12月の燃料装荷、14年11月の営業運転開始のスケジュールを崩していないが、実際には「厳しい」としている。

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