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もう一度抱きしめて 若年認知症の妻と生きる

1.【52歳の変調】 あの言葉は不安の叫びだった 汚れる部屋、絵も描かず (2009/02/24)

たておさんのぬくもりに包まれ、柔らかい笑顔をみせる霞さん=18日、自宅で

「忘れたくない」−。自宅に届く郵便物から自分と夫の名前を切り抜いていた霞さん。一時期は箱に山積みになるほどたまったが、発病2年で文字が識別できなくなり、やめてしまった

 夫が、あるいは妻が、それまで積み重ねてきた喜怒哀楽の長い日々のこと、子供のこと、仕事のこと、それらすべてのことを思い出せなくなり、乱暴し、近所を徘徊(はいかい)するようになってしまう。そのとき夫婦は、きっと新しい人生の入り口に立つだろう。妻が、五十二歳で認知症と分かった。伴侶として、慈しみ寄り添う二人の姿を追った。

 「強く抱きしめて、お願いだから」

 難病患者の支援活動に携わっていた伊藤たておさん=当時五十三歳=は、十年前の妻の言葉をはっきりと覚えている。

 夕食の後片付けを終えた妻の霞さん=同五十二歳=が、突然すがるような目をして言った。声が震えていた。居間のソファでお酒を飲みながらくつろいでいた伊藤さんは、驚いた。

 絵描きとしての独立を思い描いていた妻と別居し、夕食だけを一緒に食べるような夫婦の形になって、六年が過ぎていた。手を握った記憶も久しくない。

 伊藤さんは「何を言っているの」と遮ってしまう。「画家を目指しているのに甘えさせてはならない」と、一人で住む妻の孤独に気付かないふりをした。

 伊藤さんは終戦の年の一九四五年(昭和二十年)に室蘭で生まれた。戦禍を逃れ家族と札幌に引っ越す。中三から学生運動に加わった。時代は若者を早熟にした。高校卒業後、画家を目指す。伊藤さんが二十一歳のとき、自身が主宰する絵画サークルに入会してきたのが、霞さんだった。

 伊藤さんは自身が難病の重症筋無力症を患っている。一九七三年に「北海道難病連」を結成し難病患者の支援に取り組んだ。妻も活動を手伝うことがあった。

 妻は、明らかに変調をきたしていった。

 きれい好きだったのに、妻の住むアパートの部屋は、障子が飼い猫に破られたままぼろぼろ。フンはビニール袋に入れてベランダに山積みになり、異臭を放っていた。

 絵画教室の講師の依頼があったが、打ち合わせの時間をすっぽかして断られた。絵も描かなくなった。もともと小柄で細身の体がさらにやせ細った。「お金がなくなった」と妻に言われた。調べてみると、同じ保険に三重に入らされていた。

 妻はまだ五十二歳だったが、病気に詳しい伊藤さんは「アルツハイマー病」を疑った。

 二〇〇〇年、雪解けを待ち、妻と一緒に住むことにする。伊藤さんは「アルツハイマーは進行性で決定的な治療法がない。病院に行くのは無駄だ」と考えた。

 同居後、妻の荷物から日記を見つけた。「ぼけが治らない」と書かれてあった。あて名のないはがきもあった。「ぼけが治ったから遊びにきてね」。きちょうめんな妻の字だった。

 「友人たちが、約束を守れない妻から離れていきました。呼び戻したかったのでしょう。妻は自分でもおかしいと感じ、治りたいと願っていたのだと思う」。伊藤さんは振り返る。

 〇一年六月。伊藤さんは、認知症の進行を遅らせる薬「アリセプト」の効果が認められてきたことを知る。薬を処方してもらおうと市内の病院の「物忘れ外来」を受診した。五十五歳の妻は医師に年齢を問われ「三十五歳」と答えた。医師は診察後、妻に廊下に出るよう言った。

 夫は診察室で医師と向き合った。

 「進行していて薬はもう効きません。あと五、六年でしょう」

 妻の余命を告げられた。伊藤さんは初めて悔やんだ。

「あの時の言葉は、不安のただ中にいた妻の魂の叫びだった。僕は、抱きしめてやるべきだった」

(文・青木美希 写真・中村祐子)

若年認知症
 若年認知症は認知症のうち、六十五歳未満で発症するもの。認知症は脳の機能が持続的に低下した状態を指し、「アルツハイマー病」や脳卒中などによって起きる「脳血管性認知症」が知られる。国内の患者は三万−五万人とみられている。高齢者の認知症に比べ、職場や家庭を支える現役世代を襲うため経済的損失が大きい上、支援体制が整っていないという問題が指摘されている。

 札幌市は昨年初めて若年認知症の実態調査をまとめた。報告書は、市内の患者を四百五十人から七百人にのぼるとしているが、団塊の世代が発病の多い六十歳代と重なることから、その数は増えていくと推定される。

 市の実態調査では発症当時働いていたと回答した人はみな失職した。住宅ローンの残債があるほか、介護保険上のサービスでは不足するため自費でまかなわざるを得ない場合も多く、約四割が退職金や貯金を取り崩して生活している厳しい現実が明らかになった。

 若年認知症は進行が早いと言われる。体力があるため遠くまで徘徊(はいかい)するなど、家族らの負担は大きい。介護を始めてから健康が悪化したと回答した介護者は七割に上った。当事者への聞き取りでは五十歳代の男性が「無収入でせつない。道が閉ざされた感じがする。もうおれの人生、終わりなのか」と切実な声を寄せた。

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