
省庁再編を控え「北海道開発庁」の金文字が、霞が関の中央合同庁舎4号館正門から外された=2001年1月5日
戦後の北海道開発の司令塔として国が1950年に設置した北海道開発庁は、2001年1月の省庁再編により国土交通省に統合され、半世紀の庁の歴史を閉じた。道路や河川整備、空港建設など北海道の社会資本整備に最大で1兆円近くの年間予算を組んでいた北海道開発庁の業務の大半は、国土交通省北海道局に引き継がれ、機能は維持された。
また、それまで実施機関として、北海道開発庁の立案のもと建設、運輸、農水各省の指揮監督を受けてきた北海道開発局(札幌)は、国土交通省の出先機関となった。
北海道は、本州に比べ国土開発の歴史が浅く、全国の22%という広大な面積を抱える。また、旧ソ連と国境を接する地域という重要性もあり、1950年に北海道開発法が制定された。この法律に基づいて約10年ごとに北海道総合開発計画が策定されるが、計画を推進するため、現在も「予算一括計上権」や「北海道特例」など特別な措置が取られている。
とはいえ、北海道局は、国土交通省の1官房13局のうちの1局に過ぎず、閣僚が長官を務め、事務次官が事務方トップだった北海道開発庁時代からは存在感は急速に弱まった。ピーク時(1997年度当初予算)には総額1兆59億円にまで達した北海道開発事業費は、小泉構造改革以降急減し、さらに「コンクリートから人へ」の方針を掲げた鳩山由紀夫内閣が2010年度予算案編成で過去最大の削減幅となる17%減に踏み切ったことで、総額は4857億円と1977年度以来33年ぶりに5000億円を割り込んだ。実にピーク時の半額以下だ。
職員のヤミ専従問題大量処分を発表する国交省の谷口博昭事務次官(中央)と奥平聖北海道局長(左)=2010年3月23日
金額だけでなくシェアも低下している。北海道開発事業費は、戦後一貫して国の一般公共事業費の10パーセント超を占めていたが、北海道局に「格下げ」されて2年目の予算編成となった2003年度予算に初めて10パーセントを割り込む。その後もシェアは低迷を続け、2010年度の当初予算では暫定値で8・3%まで下がった(ただし、地方に配分される一部交付金を差し引くとシェアは9・6%)。
一方で、行政機構のスリム化機運が高まる中、2007年ごろから、政府の地方分権改革推進委員会などで、「無駄の象徴」として出先機関の開発局廃止をふくめた北海道局不要論がたびたび浮上する。さらに、09年には開発局発注の河川工事をめぐる官製談合事件で開発局長経験のある元北海道局長の有罪判決が確定、10年3月には開発局職員による組合活動「ヤミ専従」問題で4119人が処分されるなど不祥事も相次ぎ、北海道開発行政をとりまく情勢は厳しさを増していた。
2010年6月に浮上した北海道局廃止構想は、こうした流れに加え、国交省内に新幹線や下水道など高度な社会資本システムを一括で海外に売り込む「国際局(仮称)」を新設するため、引き換えに局をひとつ減らす「数合わせ」の側面が強い。
| 戦後の北海道開発行政の主な歩み | |
| 1950年6月 | 道開発庁発足 |
| 51年7月 | 開発局設置 |
| 56年6月 | 北海道東北開発公庫設置(99年廃止) |
| 71年8月 | 苫東開発の基本計画策定 |
| 73年4月 | 根室地域新酪農村建設事業着手 |
| 82年7月 | 第2臨調が国土庁、道開発庁の統合答申 |
| 96年2月 | 豊浜トンネル崩落事故 |
| 97年5月 | アイヌ文化振興法制定 |
| 99年7月 | 千歳川放水路計画中止決定 |
| 2001年1月 | 国土交通省北海道局に移行 |
| 03年8月 | 小泉首相、北海道をモデルに道州制特区の検討表明 |
| 07年1月 | 道州制特区推進法施行 |
| 08年12月 | 国の地方分権改革推進委員会の第2次勧告で開発局廃止など提言 |

北海道開発予算の一括計上権とは、国土交通、農林水産両省にまたがる公共事業予算などのうち、北海道分を国土交通省北海道局が一括して計上(要求)するものだ。財務省が予算を認め、正式に予算付けされた一般公共事業費は、後から国交、農水省予算に移し変える。国土整備や交通網整備など北海道開発行政の総合化を図る象徴的存在とされてきた。旧北海道開発庁から国土交通省北海道局に業務が移った2001年の中央省庁再編でも、北海道選出議員が中心になって「これだけは残す」と政府に強く迫り、継承された。だが、一括計上権は閣議で定められたため、閣議で「なくす」と決めればすぐになくなる恐れもある。




