どうしんウェブ 北海道新聞

紙面特集記事

<専門医を訪ねて>脳動脈瘤手術 上山博康さん 旭川赤十字病院脳神経外科医師 (2008/12/10)

手術室のモニターの前で指示する上山博康医師

ミクロの世界で離れ業

 肉眼ではほとんど見えない0.02ミリの極細の糸で、0.5ミリの血管をつなぐ−。顕微鏡を使う脳外科は“ミクロの世界”だが、年間350件にのぼる脳血管の破裂を防ぐクリッピング手術を、こうした離れ業で次々にこなす。

 旭川赤十字病院(旭川市)脳神経外科の上山博康医師(60)は自他共に認める、くも膜下出血を招く脳動脈瘤(りゅう)手術の第一人者だ。

 一般的に脳動脈瘤の手術対象は5ミリ以上だが、最高110ミリという症例を手がけたことがある。通常ならクリップで挟んで破裂を防ぐが、このケースではコブを切り取り、他の血管を移植して縫い合わせた。脳腫瘍の世界的権威で、ゴッド・ハンド(神の手)の異名を持つ福島孝徳医師(米デューク大教授)にさえ「自分が脳血管手術を受けるなら上山先生にお願いする」と言わしめた。

 俗に「手術のうまい人間は絵がうまい」と言われる。旭川北高の恩師から「東京芸大進学」を勧められたほどだ。しかし、主人公が脳外科医の米ドラマ「ベン・ケーシー」や、「交通事故の多発で脳を損傷している人が増えている」との本に触発され、北大に進学した。

 運命を変えたのは研修を終え、北大病院に戻った1979年だった。恩師の都留美都雄教授の計らいで、当時国内ナンバーワンと言われた秋田県立脳血管研究センターの伊藤善太郎医師の手術に立ち会った。

 「鮮やかで見たこともない方法だった。次元が違うと思った。自分は『北大のブラックジャック』とうぬぼれていたが、その自信が見事に打ち砕かれた」。翌年から伊藤医師に師事し、最前線の手術法を学んだ。

 5年後の84年12月に再び北大に戻り、すぐに頭角を現した。この時期、並行して多くの手術器具を開発した。器具の善しあしが手術の正否を大きく左右するからだ。中でも「上山式ムラマサ」と命名されたハサミは狭い空間でも切れるよう独特の曲線、薄さが特長だ。ほかにも洗浄できる吸引管など多くの機器が販売され、全国の脳神経外科病院で使われている。

 当然、医局員のみならず、他大学からも教授候補と目されたが、先輩医師の手術に意見する性格や、教授とのあつれきもあって大学を離れることを決意した。

「現場第一」貫き年間350件も

 現場第一。上山医師に悔いはなかった。現在は平日が旭川、土日は道内外の病院を飛び回り、手術に当たっている。ほぼ年中無休、1日平均の睡眠はわずか4時間という。

 毎月、全国から手紙やメールが100通近く寄せられる。治療法を尋ねるものが多いが、首をかしげるものが増えている。「携帯電話に電話をくれ」「地元の名医を教えて」。果ては「なぜすぐ返信しない」…。

 休みを返上しての手術もいとわない。「でも、その後、(患者から)何の音さたもないと、自分のやっていることは何なのか」と思うことも。

 半面、医療現場に広がる縮み志向を懸念する。

 「すべてのリスクを患者に伝えるのは不可能。医師は治療のプロ。最善の治療法を示し、『自分は大丈夫』と言って手術に臨まなければ」「患者は命を懸けて医師を信頼。医師はその信頼に己のすべてを懸けて応えるべきだ。それが医師というより人としてのスジ」

 生一本な職人気質を、ちらりとのぞかせる。(荻野貴生)

<プロフィル>
 かみやま・ひろやす 1973年北大医学部卒。80年秋田県立脳血管研究センター、北大病院脳神経外科講師などを経て92年から旭川赤十字病院脳神経外科部長。青森県五戸町生まれ。

紙面特集記事 コンテンツ一覧

このページの先頭へ