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がっぷり四つ“力士”大迫力 巨大紙相撲場所 東京で観戦/通信員リポート/ニュース教室 (2007/12/08)

「はっけよい、のこった!」。大(おお)きな力士(りきし)ががっぷり組(く)み合(あ)うようすは、大相撲(おおずもう)のよう

体育館(たいいくかん)の天(てん)じょうから大(おお)きなつり屋根(やね)が下(さ)がっているのにもびっくり

飛(と)び入(い)りの人(ひと)たちも大急(おおいそ)ぎで力士(りきし)を作(つく)った

土俵(どひょう)のまわりをバンバンたたく。大人(おとな)も子(こ)どももいっしょうけんめいだ

 「はっけよい、のこった!」。行司(ぎょうじ)のかけ声(ごえ)とともに、がっぷり四つに組(く)み合(あ)った力士(りきし)(おすもうさん)が、相手(あいて)をたおそうとふんばります。本物(ほんもの)の相撲(すもう)のような迫力(はくりょく)です。二日に東京(とうきょう)で開(ひらか)かれた「どんどこ! 巨大紙相撲(きょだいかみずもう)にしすがも場所(ばしょ)」を観戦(かんせん)してきました。《文(ぶん)・古家昌伸(こいえまさのぶ)、写真(しゃしん)・浅利文哉(あさりふみや)》

土俵たたき「のこった!!」

 「やった〜、優勝(ゆうしょう)だあ」。二十四力士(りきし)によるトーナメント戦(せん)を勝(か)ち進(すす)んできた「菊(きく)の藤(ふじ)関(ぜき)」「孫璃史(そんりひと)」「ミスター・テンポー」の三者(しゃ)。ここからは続(つづ)けて勝(か)った力士(りきし)が優勝(ゆうしょう)です。「孫璃史(そんりひと)」がまず「ミスター・テンポー」を下(くだ)し、続(つづ)いて「菊(きく)の藤(ふじ)関(ぜき)」もたおして優勝(ゆうしょう)を決(き)めました。

 巨大紙相撲(きょだいかみずもう)も、ふつうの相撲(すもう)とルールは同(おな)じ。力士(りきし)がたおれるか、土俵(どひょう)の外(そと)に出(で)てしまったら負(ま)けです。行司(ぎょうじ)の合図(あいず)で、大人(おとな)も子(こ)どもも顔(かお)を真(ま)っ赤(か)にして土俵(どひょう)のまわりをドンドン、バンバンたたきます。そのたび組(く)み合(あ)った力士(りきし)がブルブルとふるえて、まるで力比(ちからくら)べをしているようです。

 ここは東京都豊島区(とうきょうととしまく)の西巣鴨(にしすがも)。「巨大紙相撲(きょだいかみずもう)にしすがも場所(ばしょ)」は、閉校(へいこう)になった元中学校(もとちゅうがっこう)を「にしすがも創造舎(そうぞうしゃ)」としてつかい、文化(ぶんか)や芸術(げいじゅつ)の活動(かつどう)をしているグループ(NPO法人(エヌピーオーほうじん)・芸術家(げいじゅつか)と子(こ)どもたち)などが開(ひら)きました。参加(さんか)した人(ひと)たちは、二カ月ぐらい前(まえ)から何度(なんど)か集(あつ)まって、現代美術(げんだいびじゅつ)のグループ「KOSUGE1−16(コスゲいちのじゅうろく)」の土谷享(つちやたかし)さん(30)に教(おそ)わりながら、段(だん)ボールを切(き)ったり、絵(え)をかいたりしました。作(つく)った後(あと)、近(ちか)くのお店(みせ)や老人(ろうじん)ホームに運(はこ)んで見(み)せて、名前(なまえ)をつけてもらいました。

 このようにして子(こ)どもたちが作(つく)った九力士(りきし)と、大人(おとな)たちが作(つく)った三力士(りきし)、そして大会(たいかい)の日(ひ)に十二力士(りきし)が飛(と)び入(い)り参加(さんか)しました。「にしすがも創造舎(そうぞうしゃ)」の体育館(たいいくかん)に置(お)かれた土俵(どひょう)は、直径(ちょっけい)二・七メートルと実物(じつぶつ)の約半分(やくはんぶん)。その上(うえ)にまるで大相撲(おおずもう)の国技館(こくぎかん)のようなつり屋根(やね)がかかっています。力士(りきし)が勢(せい)ぞろいする「土俵入(どひょうい)り」や、「ひが〜し〜」「に〜し〜」という呼(よ)び出(だ)しもありました。取(と)り組(く)みのあいまには、地元高校生(じもとこうこうせい)の和(わ)だいこや、相撲(すもう)につきものの歌(うた)「相撲甚句(すもうじんく)」がひろうされました。

 おしくも決勝戦(けっしょうせん)で「孫璃史(そんりひと)」にやぶれた「菊(きく)の藤(ふじ)関(ぜき)」は、老人(ろうじん)ホームのおじいちゃん、おばあちゃんがつけてくれた名前(なまえ)にふさわしいよう、菊(きく)の花(はな)をかたどった紙(かみ)をたくさん張(は)りました。西東京市(にしとうきょうし)の谷戸(やと)第(だい)二小(しょう)三年の榎本聡君(えのもとさとしくん)(8つ)は「段(だん)ボールを切(き)るのが難(むずか)しかった」と話(はな)していました。力(ちから)いっぱい土俵(どひょう)をたたいたので、あせびっしょりです。

 飛(と)び入(い)りした文京区(ぶんきょうく)・青柳小(あおやぎしょう)一年の大和田奈央(おおわだなお)ちゃん(6つ)と悠君(ゆうくん)(4つ)のきょうだいがつくった「ベンベン山(やま)」は、動物(どうぶつ)や花(はな)がかかれた、かわいらしい力士(りきし)です。一回戦(かいせん)は勝(か)ちましたが、二回戦(かいせん)では取(と)り直(なお)しの後(あと)で、おしくも「菊(きく)の藤(ふじ)関(ぜき)」に負(ま)けてしまいました。

 実(じつ)はこの「巨大紙相撲大会(きょだいかみずもうたいかい)」は、昨年(さくねん)七月に後志管内共和町(しりべしかんないきょうわちょう)でも「しりべし場所(ばしょ)」が開(ひら)かれています。大(おお)きな大会(たいかい)は、このときが最初(さいしょ)だったそうです。地元(じもと)の大人(おとな)の人(ひと)たちといっしょに楽(たの)しめるので、北海道(ほっかいどう)でもあちこちで「○○場所(ばしょ)」が開(ひら)かれたらいいですね。



<通信員リポート> お寺に泊まり カレー作り

福田淳心(ふくだあつし)《旭川市(あさひかわし)・西御料地小(にしごりょうちしょう)5年》

 ぼくはこの間(あいだ)、お父(とう)さんが勤(つと)めているお寺(てら)の、お泊(と)まり会(かい)に友達(ともだち)3人(にん)と参加(さんか)しました。

 1日目(め)は、マグカップに専用(せんよう)のマーカーで絵(え)をかきました。夕食(ゆうしょく)は、みんなで「いただきます」「ごちそうさま」と手(て)を合(あ)わせ、しゃぶしゃぶを食(た)べました。2日目(め)は、早起(はやお)きして本堂(ほんどう)でおまいりしたあと、昼食(ちゅうしょく)のカレーをみんなで作(つく)りました。ぼくは玉(たま)ねぎを切(き)りましたが、目(め)にしみて大苦戦(だいくせん)しました。苦労(くろう)して作(つく)ったカレーはお母(かあ)さんたちにも食(た)べてもらいました。

 最後(さいご)に、ぼくのお父(とう)さんのお話(はなし)がありました。「できる人(ひと)」は「できない人(ひと)」に教(おし)えることが大切(たいせつ)、というのを聞(き)き、兄弟(きょうだい)もそうだな、と思(おも)いました。



<ニュース教室> ミシュランガイド おいしい料理の「参考」

 レストランの格付(かくづ)けで知(し)られる「ミシュランガイド」の東京版(とうきょうばん)が十一月に発刊(はっかん)され、十二万部(ぶ)がわずか四日間(かん)でほぼ完売(かんばい)する人気(にんき)でした。

 ところで「ミシュラン」と聞(き)いて「自動車(じどうしゃ)のタイヤの会社(かいしゃ)と同(おな)じ名前(なまえ)」と思(おも)った人(ひと)はピンポン! 正解(せいかい)です。ミシュランというフランスのタイヤメーカーが二十世紀(せいき)はじめ、当時(とうじ)の自動車(じどうしゃ)ふきゅうにあわせて「ドライブ情報(じょうほう)」のひとつとして「ここにおいしいレストランがあります」などと、無料(むりょう)でしょうかいしたのがミシュランガイドの始(はじ)まりだったそうだよ。

 東京版(とうきょうばん)は百五十店(てん)をけいさい。最高評価(さいこうひょうか)の「三(み)つ星(ぼし)」が八店(てん)、二(ふた)つ星(ぼし)が二十五店(てん)、一(ひと)つ星(ぼし)が百十七店(てん)でした。調査員(ちょうさいん)五人が「おしのび」、つまりふつうのお客(きゃく)として来店(らいてん)し味(あじ)やサービスをチェックしたそうで、担当者(たんとうしゃ)は「東京(とうきょう)は世界(せかい)にかがやく美食(びしょく)の都市(とし)」とたたえました。ただ、海外(かいがい)では「基準(きじゅん)があいまいでは」と当(とう)わくする反応(はんのう)もあったそうです。

 食(た)べた人(ひと)が「おいしい」って思(おも)う料理(りょうり)が、その人にとって一番(いちばん)だよね。ぼくも出張先(しゅっちょうさき)のホテルのちょっと気(き)どったレストランに入(はい)って、「これなら近所(きんじょ)のラーメン屋(や)さんの方(ほう)がよっぽどうまかった」と思(おも)ったことが何度(なんど)かあります。ガイド本(ぼん)はあくまで「参考(さんこう)」として、楽(たの)しんで目(め)を通(とお)せばいいとぼくは思(おも)うよ。

《編集委員(へんしゅういいん) 安宍一夫(あじしかずお)》

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