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エジプトの宝、市民が守った デモの混乱で博物館が泥棒被害に/通信員だより/ニュースなるほど! (2011/06/18)

世界的に有名なツタンカーメン王の黄金のマスク。1922年に発見された時も、今と同じようにかがやいていたそうだよ

ピンク色のかべが特徴(とくちょう)のエジプト考古学博物館。左おくに見えるのは、ムバラク前大統領(ぜんだいとうりょう)が党首(とうしゅ)だった与党(よとう)・国民民主党本部で、デモの民衆(みんしゅう)により放火されました

ツタンカーメン王の父親のアクエンアテン王と推定(すいてい)される大石像(だいせきぞう)。館内には、大小さまざまな4万点が展示(てんじ)されています

 エジプトの首都カイロ中心部にあり、ピラミッドと並(なら)んで観光客に大人気のエジプト考古学博物館。ここには、古代エジプト王のミイラ、石像(せきぞう)や宝飾品(ほうしょくひん)など、12万点の「お宝(たから)」があります。今年2月、29年間も独裁的(どくさいてき)な力を持っていたムバラク前大統領(ぜんだいとうりょう)が、国民の抗議(こうぎ)行動(デモ)で辞めたのは、みんな知っているかな。デモが最も激(はげ)しかったタハリール広場は、博物館のすぐそば。デモの混乱(こんらん)で博物館に泥棒(どろぼう)が入り、大事な展示品(てんじひん)の一部がぬすまれ、こわされました。博物館がどうなっているか心配で、訪(たず)ねてみました。《文、写真・坂東和之(ばんどうかずゆき)》

黄金マスクやミイラ12万点

 「53点がぬすまれましたが、30点以上がもどり、こわされた18点も修復中(しゅうふくちゅう)です。目玉の展示品は無事で、博物館の魅力(みりょく)は変わっていませんよ」

 そう話すロトフィー・ハミッド学芸員(43)の案内で、館内を回りました。

 一番の人気は、約3500年前のツタンカーメン王の黄金マスク。そのかがやきに、世界各地から来た観光客たちが目を丸くしていました。

 「純金(じゅんきん)70キロを使い、青いラピスラズリやトルコ石といった宝石で装飾(そうしょく)しています。歴史的価値(かち)を含(ふく)め、時価3兆ドル(240兆円)ともいわれています」。観光ガイドさんが、米国からの団体客(だんたいきゃく)にそう説明していました。1960年代に日本でも展示され、大変話題を呼(よ)んだそうです。

 26体あるミイラも貴重(きちょう)です。中でも、紀元前13世紀ごろ、国を治めていたラムセス2世のミイラは保存状態(ほぞんじょうたい)がよく、今にもニョキッと起きてきそうで、少しこわかったです。

 「黄金のマスクやミイラが無事で、本当によかった。デモの最中、たくさんの人たちが、博物館を守ってくれたおかげです」とハミッドさんは感謝(かんしゃ)していました。

大勢かけ付け ねないで警備

 デモは1月25日に始まり、3日後には約100万人がタハリール広場に集まりました。博物館を守っていた警察官(けいさつかん)の多くが、デモの現場にかり出され、博物館の警備(けいび)は手うすになりました。そのすきをついて、泥棒は天井(てんじょう)の窓(まど)をこわして入りました。

 それを知った大勢(おおぜい)のカイロの市民が「エジプトの宝を守ろう」と自主的にかけ付け、夜もねないで警備を続けました。そのおかげで、被害(ひがい)は最小限(さいしょうげん)ですんだようです。

 デモの混乱で1月27日に一時閉館(へいかん)しましたが、2月15日に再(ふたた)び開館できました。

 しかし、デモで国中が混乱し、エジプトに来る観光客は、大幅(おおはば)に減ってしまいました。昨年は、博物館に1カ月に100万人近い観光客が訪(おとず)れましたが、3月以降(いこう)はひと月4万人くらい。特に、日本からの観光客が減っています。

 考古学博物館は、開館から今年で109年。建物は古く、広さも十分でないため、展示できるのは12万点のうちの4割(わり)ほどです。このため、エジプト政府(せいふ)は、世界最大級の「大エジプト博物館」を、2015年の完成を目指して、カイロ郊外(こうがい)のギザのピラミッド近くに造(つく)る計画です。

 ツタンカーメンに関係する収蔵品(しゅうぞうひん)は、大エジプト博物館に移す予定ですが、考古学博物館も、ミイラなどを目玉に存続していきます。

 日本のみなさんへ、ハミッドさんから伝言があるよ。

 「歴史の勉強にもなるから、いつか考古学博物館やピラミッドを見にエジプトに来てね。待ってるよ」



<通信員だより>思い出に残る最後の運動会

野津敏史(のづさとし)《北広島(きたひろしま)市・高台(たかだい)小6年》

 先日、運動会が開かれました。6年生のぼくにとって小学校で最後になりましたが、高台小にとっても最後になりました。なぜなら高台小は来春で閉校(へいこう)になり、となりの学校と統合(とうごう)して「緑ヶ丘(みどりがおか)小」になるからです。

 校舎(こうしゃ)の窓(まど)には「絆(きずな)を胸(むね)に 心を合わせて ラストスパート!」と書かれた紙が張(は)り出されました。学校への感謝(かんしゃ)の思いと、みんなが一つになってがんばろうという思いがこめられました。

 ぼくは、紅(あか)組と白組がエールを交換(こうかん)する「紅白応援(こうはくおうえん)合戦」で太鼓(たいこ)をたたきました。騎馬(きば)戦では紅組総大将(そうだいしょう)となり、「挑戦状(ちょうせんじょう)」も読み上げました。騎馬戦は紅組が制(せい)し、総得点(そうとくてん)でも2点差で紅組が勝ちました。ぼくには、思い出に残る最高の運動会でした。



<ニュースなるほど!>大間原発 福島の事故受け反対強まる

 福島(ふくしま)第1原発で爆発(ばくはつ)が起き、放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)が飛び散った事故(じこ)を受け、函館(はこだて)では青森(あおもり)県大間(おおま)町にある大間原発の建設(けんせつ)中止を求める声が強まっています。

 大間と函館は、海をへだてていますが、意外と近いのです。一番近い汐首岬(しおくびみさき)までは大間から23キロしかありません。JR函館駅周辺までは約30キロです。

 今回の事故で、原発から半径20キロまでの地域(ちいき)は立ち入り禁止(きんし)となりました。

 半径20キロより外の地域では、避難(ひなん)を求められている所があります。場所によっては、原発から30キロ以上はなれている地域も対象となっています。

 このため、大間原発で同じような事故が起きると、函館の人たちは農作物が出荷できなくなったり、遠くに避難させられたりするおそれがあります。

 原発に反対する市民は、東日本大震災(だいしんさい)後の5月28日と6月11日、市内でデモ行進を行いました。

 函館市の工藤寿樹(くどうとしき)市長は6月15日、大間原発を建設している電源(でんげん)開発(東京)を訪(おとず)れ、安全対策(たいさく)の情報(じょうほう)をもっと提供(ていきょう)するように求めました。

 大間原発は2008年に建設がスタート。すでに全体の3分の1が出来上がり、14年の運転開始を目指しています。地元の大間町では、原発建設にともない国からお金が入ることなどから、函館とは逆(ぎゃく)に、震災後、中断したままになっている工事の再開を望む声が出ています。

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