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道新小学生新聞フムフム

夢の始まりは札幌で見た星空 宇宙飛行士 山崎直子(やまざき・なおこ)さん(40) はい!質問 (2011/04/02)

「北海道の星空は本当にきれい」と話す山崎さん

直筆メッセージ

 日本人女性(じょせい)では2人目の宇宙(うちゅう)飛行士として昨年4月、米スペースシャトルで国際(こくさい)宇宙ステーションに行き、2週間の宇宙飛行を実現(じつげん)した山崎直子(やまざきなおこ)さん(40)=神奈川県=がこのほど講演会(こうえんかい)に出席するため札幌を訪(おとず)れました。山崎さんが宇宙に興味(きょうみ)を持ったのは、子どものころに見た札幌(さっぽろ)の夜空だったそうです。宇宙から地球はどのように見えるんでしょう? 山崎さんに宇宙の魅力(みりょく)を聞きました。《聞き手・鬼頭良幸(きとうよしゆき)》

 −−宇宙飛行からもうすぐ1年がたちます。宇宙では、どんなことをしましたか? また宇宙から見た地球はどうでしたか。

 「《食料や実験道具など地球から宇宙ステーションに物資(ぶっし)を運ぶ》補給(ほきゅう)ミッションの仕事をしました。宇宙は『きれいだろうな』と思っていましたが、想像以上。宇宙の黒は予想していたよりも真っ暗闇(くらやみ)で、逆(ぎゃく)に地球はすごくかがやいていました。日の出や日の入りはにじ色にかがやいて、地球自身がまるで生きているようでした」

 −−宇宙ステーションの生活はどうでしたか。

 「宇宙ステーションはサッカー場ぐらいの広さです。宇宙食はチューブを吸(す)うようなイメージがありますが、はしやフォークも使います。今では300種類ほどのメニューがあります。日本食もラーメン、カレーライス、サバみそ煮(に)など28種類もあり、いろんな食べ物を楽しみました」

 −−子どものころは札幌で過(す)ごしたそうですね。

 「父親の転勤(てんきん)で幼稚園(ようちえん)から真駒内曙(まこまないあけぼの)小学校2年まで住んでいました。その時、小学校のグラウンドで星の観察会がありました。望遠鏡をのぞくと、月のクレーターや土星の輪が見えて、ものすごく感動しました。その後、千葉県に引っこしましたが、プラネタリウムに通ったりして宇宙にどんどん興味(きょうみ)を持つようになりました」

 −−どんな子どもでしたか。

 「のんびり屋でした。好きな授業(じゅぎょう)は、理科と図工。生き物が好きで、学校の飼育係(しいくかかり)もやっていました。セミが羽化しそうだったので、夕方から翌日(よくじつ)の朝まで見ていたこともありました」

 −−人類が火星に行けるのは、いつごろですか。

 「はっきり分かりませんが、2035年ぐらいかな?」

実現へ 全力つくし楽しんで

  −−山崎さんは宇宙飛行士という夢をかなえました。夢を実現(じつげん)するために必要なことは?

 「いろんな夢があり、すぐかなうものもあれば、何年もかかるものもあります。大きな夢だと、途中(とちゅう)でうまくいかないこともあります。その時に好きという気持ちがあれば、あまり苦労と思わずに前に進めます。最初の夢が別の夢に変わるかもしれませんが、全力をつくして楽しむことが大切です」

 −−北海道の子供たちにエールを。

 「自然に親しむことが、科学に関心をもつ第一歩。北海道のすばらしい自然の中で住んでいることにほこりを感じて、いろんなことに興味を持ってほしいですね」

<略歴(りゃくれき)>
やまざき・なおこ 1970年、千葉県松戸市生まれ。父親の転勤(てんきん)で、幼稚園(ようちえん)から小学校2年まで約2年間、札幌市南区で暮(く)らす。96年に東京大学大学院工学系(こうがくけい)研究科を修了し、宇宙開発事業団(うちゅうかいはつじぎょうだん)《現在(げんざい)の宇宙航空研究開発機構(きこう)》に入る。2010年4月には日本人女性(じょせい)では向井千秋(むかいちあき)さんに続き2人目、母親としては初めての宇宙飛行士として、宇宙ステーションに約2週間滞在(たいざい)した。



<ぼくのわたしの学校じまん> 歌と器楽で卒業お祝い

枝幸・歌登(うたのぼり)小取材班(はん)

 歌登(うたのぼり)小はオホーツク海側の宗谷(そうや)管内南部、枝幸(えさし)町の歌登にあります。酪農(らくのう)とお店などがあり、木や自然がたくさんあります。

 わたしたちは「夢(ゆめ)があふれ、歌がひびき、喜びがはじける歌小」を目指しています。仲が良く、楽しく遊べるのがよいところだと思います。学習は分かりやすく教えてくれ、困(こま)ったときは先生が優(やさ)しく教えてくれます。地域(ちいき)の人が先生となって教えてくれることもあります。

 委員会やクラブでは、みんな仲良く楽しく遊んだり、計画を立てたりします。クラブは、夏には球技(きゅうぎ)遊びなど、冬には冬遊びクラブなどがあります。

 運動会は学年ごとに徒競走があり、学年によっていろいろな種目があります。それに歌小にしかない「歌小タイフーン」があります。4人で棒(ぼう)を持って、まわってくる種目です。全員が3色のチームに分かれ、力を合わせて引くつな引きもあります。

 全校でおどる伝統(でんとう)の歌小ソーランは、上級生が下級生に教え、地域の人に喜んでもらっています。

 6年生を送る音楽会では、卒業する6年生に歌と器楽と言葉をおくります。歌登のフォレストピアホールで卒業をお祝いします。

 おじいちゃん、おばあちゃんを優しく介護(かいご)してくれている歌翠(かすい)園には5年生が訪問(ほうもん)し歌を歌ったり、いっしょにゲームをしたりします。

 最後にしょうかいするのは、たてわり班(はん)そうじです。グループごとに分かれて、1年生から6年生までいっしょにそうじをします。

 歌登は楽しく、とても住みやすい所なので、ぜひ来てください。

《児童会長の蒼(あおい)》

▽住所 宗谷(そうや)管内枝幸(えさし)町歌登(うたのぼり)西町124番地▽開校 1901年(明治34年)▽児童数 94人▽三上信昭校長



<ニュースなるほど!> リビア攻撃 反体制派助け市民の犠牲ふせぐ

 アメリカやフランス、イギリスなどが、中東のリビアをミサイルや戦闘機(せんとうき)で攻撃(こうげき)しました。リビアでは、41年以上も権力(けんりょく)をひとりじめしてきた最高指導者(しどうしゃ)のカダフィ大佐に反対する人たちが、武力(ぶりょく)で政府(せいふ)軍と戦う内戦のようになっています。各国の攻撃は、軍事力で劣る反体制派(はんたいせいは)を助け、犠牲者(ぎせいしゃ)をふやさないようにするのがねらいです。

 リビアはカダフィ大佐が市民をおさえつけ、選挙や政党(せいとう)もありません。反体制派は、となりのチュニジアやエジプトで民衆(みんしゅう)が政府を倒(たお)したのに勇気づけられ「自由とよりよい生活」を求めて各地でデモ行進。やがて政府軍との戦いにいどみ、重要な都市を次々とおさえていきました。これに政府軍がはげしく反撃。たくさんの人が死ぬ悲惨(ひさん)な状況(じょうきょう)になりました。

 ここで動いたのが国際社会でした。いくらひどい状況でも、外国の軍隊が勝手に攻(せ)めこむことは、ふつうはゆるされません。しかし、国連の安全保障理事会(あんぜんほしょうりじかい)は、リビアの政府軍が市民を攻撃するのをふせぐためなら「必要なことは何でもやる」と決議、リビア攻撃に道をひらきました。

 反体制派が支配するリビア北東部に住む男の人は「カダフィを追い出さないと」と各国の攻撃を歓迎しています。

 カダフィ大佐は権力をあきらめる気配はまだありません。リビアがいつ平和で自由な国になるのか、まだだれにもわかりません。

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