どうしんウェブ 北海道新聞

  • PR

  • PR

道新小学生新聞フムフム

函館野外劇 楽しいよ フムフム通信員 2人がリポート/通信員リポート/ニュース教室 (2007/07/28)

出演前(しゅつえんまえ)に準備(じゅんび)をする海月(みつき)さん《左(ひだり)》と母(はは)の千栄(ちえ)さん

おほりの水上舞台(すいじょうぶたい)で演(えん)じる海月(みつき)さん《右(みぎ)から2人目(め)》と母(はは)の千栄(ちえ)さん《右(みぎ)はし》ら、コロポックルの仲間(なかま)たち

野外劇(やがいげき)の観客席(かんきゃくせき)の前(まえ)で輪島(わじま)さん《左(ひだり)》にインタビューする山田(やまだ)さん

 みなさんは函館野外劇(はこだてやがいげき)を知(し)っていますか。函館(はこだて)にある星形(ほしがた)の洋風(ようふう)のお城(しろ)、五稜郭(ごりょうかく)のおほりに水舞台(みずぶたい)をつくり、毎年(まいとし)夏(なつ)の夜(よる)に行(おこな)われています。テーマは函館(はこだて)の歴史(れきし)。歌(うた)や踊(おど)りを交(まじ)えて劇(げき)は進(すす)み、本物(ほんもの)の馬(うま)も船(ふね)も出(で)ます。子(こ)どもからお年寄(としよ)りまでいる出演者(しゅつえんしゃ)と裏方(うらかた)さんはみんな、お金(かね)をもらわないボランティアです。セリフの多いよう精(せい)コロポックルの「ウミ」役(やく)に母(はは)の千栄(ちえ)さんといっしょに出演(しゅつえん)している黒石海月(くろいしみつき)さん=北斗市(ほくとし)・久根別小(くねべつしょう)五年=と、音楽(おんがく)が大好(だいす)きな山田侑依(やまだゆい)さん=函館(はこだて)・日吉(ひよし)が丘(おか)小(しょう)五年=のフムフム通信員(つうしんいん)二人が、函館野外劇(はこだてやがいげき)の楽(たの)しさや見(み)どころをリポートしてくれました。

コロポックル役で出演 舞台 はく力満点だよ

☆黒石海月さん

 わたしは昨年(さくねん)からコロポックルの役(やく)で函館野外劇(はこだてやがいげき)に出演(しゅつえん)しています。主(おも)な役(やく)は二月にオーディションがあります。最初(さいしょ)は腹筋運動(ふっきんうんどう)や発声練習(はっせいれんしゅう)をたくさんしました。おなかの底(そこ)から大(おお)きな声(こえ)を出(だ)したり、お客(きゃく)さんに聞(き)こえやすくセリフを言(い)えるように顔(かお)の筋肉(きんにく)をきたえたりしました。そして、セリフの練習(れんしゅう)。これは気持(きも)ちをこめなければいけません。わたしには意味(いみ)のわからない言葉(ことば)もあって、とても大変(たいへん)でした。

 また、お母(かあ)さんといっしょに函館(はこだて)の歴史(れきし)について調(しら)べました。函館(はこだて)は土方歳三(ひじかたとしぞう)や石川◆木(いしかわたくぼく)、高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)など、いろいろな人(ひと)がさまざまなことにちょう戦(せん)した街(まち)だということがわかりました。武田斐三郎(たけだあやさぶろう)は幕末(ばくまつ)に五稜郭(ごりょうかく)を設計(せっけい)した人(ひと)です。とても勉強熱心(べんきょうねっしん)だったそうです。この五稜郭公園(ごりょうかくこうえん)でわたしたちは、函館(はこだて)の歴史(れきし)を伝(つた)えるということにちょう戦(せん)します。

 水舞台(みずぶたい)は、ほりの中(なか)につくります。暗(くら)い夜(よる)の水(みず)の上(うえ)に水色(みずいろ)や緑(みどり)の光(ひかり)がとてもきれいに、夢(ゆめ)の中(なか)のように、劇(げき)は始(はじ)まります。わたしたちコロポックルは人間(にんげん)の目(め)には見(み)えないよう精(せい)だから、かわいく演(えん)じるようにしています。劇(げき)に出(で)てくる昭和(しょうわ)九年(一九三四年)の函館大火(はこだてたいか)は、わたしのひいおばあちゃんが体験(たいけん)したそうです。なくなる前(まえ)に、その話(はなし)をしてくれました。だからわたしは、ひいおばあちゃんが天国(てんごく)で野外劇(やがいげき)を見(み)てくれていると思(おも)ってがんばります。

 野外劇(やがいげき)は今年(ことし)で二十年目(め)です。劇(げき)に参加(さんか)している人(ひと)たちはみんな函館(はこだて)が大好(だいす)きな人(ひと)たちです。舞台(ぶたい)をつくる人(ひと)も演技(えんぎ)をする人(ひと)も、みんなボランティアです。わたしはきびしい演技(えんぎ)の練習(れんしゅう)で泣(な)いたこともありますが、お客(きゃく)さんからはく手(しゅ)をもらったとき、すごくやりがいを感(かん)じます。劇(げき)には本物(ほんもの)の水(みず)や火(ひ)も出(で)てくるのではく力(りょく)満点(まんてん)です。

 公演(こうえん)は十回(かい)で、今年(ことし)は八月四日と五日が最後(さいご)になります。日本(にほん)一大(おお)きな野外劇(やがいげき)をたくさんの人(ひと)に見(み)てもらいたいです。

(注)◆は「口」の右に「豕」


出演者400人、裏方は100人 公演まで準備に5カ月

☆山田侑依さん

 「すごい!」。わたしは思(おも)わず言(い)ってしまいました。きれいなライト。本物(ほんもの)の馬(うま)、船(ふね)や火(ひ)が出(で)るところ。とってもうまい演技(えんぎ)。野外劇(やがいげき)を見(み)て、函館(はこだて)のことがもっと好(す)きになりました。そこで、野外劇(やがいげき)のことを知(し)ろうと思(おも)って、野外劇(やがいげき)の会(かい)の理事長代行(りじちょうだいこう)の輪島幸雄(わじまさちお)さんに聞(き)いてみました。

 「何人(なんにん)が野外劇(やがいげき)に出(で)ているんですか」と聞(き)くと「出演者(しゅつえんしゃ)が約四百人(にん)、裏方(うらかた)が約(やく)百人(にん)だよ」と、「野外劇(やがいげき)は何(なん)カ月前(まえ)から準備(じゅんび)していたんですか」と聞(き)くと「二月から役(やく)の練習(れんしゅう)をしているから五カ月前(まえ)だよ」と、教(おし)えてくれました。劇(げき)で使(つか)う大(たい)ほうは本物(ほんもの)ににせて作(つく)っていることや、ライトは観客席(かんきゃくせき)の上(うえ)から出(で)ていることが分(わ)かりました。

 野外劇(やがいげき)を見(み)て、すごく感動(かんどう)しました。わたしも舞台(ぶたい)が好(す)きなので、こんど、出演(しゅつえん)してみたいです。



<通信員リポート> 藻岩山登山、風景に感動

植津恵(うえつめぐみ)《札幌市(さっぽろし)・石山南小(いしやまみなみしょう)4年》

 4日に遠足(えんそく)があり、藻岩山(もいわやま)に登(のぼ)りました。初(はじ)めて登(のぼ)る人(ひと)が多(おお)かったです。わたしも初(はじ)めてだったのでつらかったです。

 いきなり急(きゅう)な坂(さか)だったので、足(あし)がいたくなりました。頂上(ちょうじょう)の方(ほう)から下(お)りてくる犬(いぬ)がいてびっくりしました。おじぞうさんを数(かぞ)えながら、登(のぼ)りました。

 やっと頂上(ちょうじょう)に着(つ)くと、てん望台(ぼうだい)がありました。みんなで上(あが)がって見(み)ました。札幌(さっぽろ)ドームやいろいろな建物(たてもの)がたくさん見(み)えました。とてもきれいで感動(かんどう)しました。

 下(くだ)りはとても急(きゅう)な坂(さか)だったので、転(ころ)びそうになりました。みんなで伝言(でんごん)ゲームをしながら下(くだ)りました。と中(ちゅう)でヘビを見(み)ました。

 とても楽(たの)しい登山遠足(とざんえんそく)でした。



<ニュース教室> ボクシング 豊浦出身 世界王者に

 18日に東京(とうきょう)で行(おこな)われた世界(せかい)ボクシング評議会(ひょうぎかい)(WBC(ダブリュービーシー))世界(せかい)フライ級(きゅう)タイトルマッチ12回戦(かいせん)で、北海道(ほっかいどう)の胆振管内豊浦町出身(いぶりかんないとようらちょうしゅっしん)で同級(どうきゅう)6位(い)の内藤大助選手(ないとうだいすけせんしゅ)(32)が勝(か)ち、新(あたら)しいチャンピオンになりました。

 内藤選手(ないとうせんしゅ)の相手(あいて)は、17回(かい)続(つづ)けて、いろいろなちょう戦者(せんしゃ)に勝(か)ち王座(おうざ)を守(まも)り続(つづ)けてきたタイのポンサクレック・ウォンジョンカム選手(せんしゅ)(29)です。内藤選手(ないとうせんしゅ)自身(じしん)もすでに2度(ど)戦(たたか)ってきました。

 2002年には1回(かい)34秒(びょう)でノックアウト負(ま)けし、05年にも試合中(しあいちゅう)の傷(きず)で負(ま)けていました。3度目(どめ)の対戦(たいせん)で王座(おうざ)をうばったのです。

 最初(さいしょ)に世界王座(せかいおうざ)にちょう戦(せん)してから5年。すでに32さいですから、世界王者(せかいおうじゃ)を目指(めざ)す多(おお)くの若(わか)いライバルに勝(か)ってちょう戦(せん)する資格(しかく)を得(え)るだけでも、大変(たいへん)なことです。

 それでも内藤選手(ないとうせんしゅ)はパンチ力(りょく)とスピードをきたえ続(つづ)け、12回(かい)全力(ぜんりょく)で戦(たたか)う体力(たいりょく)を養(やしな)ってきました。この努力(どりょく)と、それを支(ささ)えた精神力(せいしんりょく)が大(おお)きな花(はな)をさかせたのです。

 内藤選手(ないとうせんしゅ)は、子(こ)どものころ体(からだ)が小(ちい)さく、いじめられたため「強(つよ)くなりたい」とボクシングを始(はじ)めました。しかし、けんかではなくボクシングというスポーツで世界一(せかいいち)になったのです。

 世界戦(せかいせん)で2回(かい)負(ま)けたため弱(よわ)いイメージを持(も)っている人(ひと)もいますが、負(ま)けたのはその2回(かい)だけ。通算成績(つうさんせいせき)は35戦(せん)31勝(しょう)2敗(はい)2分(わ)け。堂々(どうどう)とした強(つよ)い選手(せんしゅ)なのです。

《編集委員(へんしゅういいん) 成谷利彰(なりやとしあき)》

道新小学生新聞フムフム コンテンツ一覧

このページの先頭へ