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道新小学生新聞フムフム

函館市中央図書館 昔のまんが見られるよ/通信員リポート/ニュース教室 (2011/01/29)

素戔鳴命(すさのおのみこと)

平気(へいき)の平太郎(へいたろう)

のらくろ二等兵(にとうへい)

少年兵隊(しょうねんへいたい) 爆弾漫画三勇士(ばくだんまんがさんゆうし)

函館市中央図書館(はこだてしちゅうおうとしょかん)に保管(ほかん)されている児童(じどう)まんがの一部(いちぶ)

 函館市中央図書館(はこだてしちゅうおうとしょかん)が今(いま)の場所(ばしょ)に移転(いてん)する前(まえ)の2004年、屋上(おくじょう)の書庫(しょこ)で明治(めいじ)から昭和(しょうわ)の子(こ)ども雑誌(ざっし)や図書(としょ)、まんがなど約(やく)4千冊(さつ)が見(み)つかりました。ほかの図書館(としょかん)では保管(ほかん)されていない本(ほん)も多(おお)く、道内(どうない)の児童文学研究者(じどうぶんがくけんきゅうしゃ)たちが「函館(はこだて)の貴重児童資料(きちょうじどうしりょう)」と名付(なづ)けて整理(せいり)を進(すす)め、昨年(さくねん)から公開(こうかい)が始(はじ)まりました。《文(ぶん)・写真(しゃしん) 西田美樹(にしだみき)》

明治から昭和まで 神話、冒険…60点

 資料(しりょう)には、1934年《昭和(しょうわ)9年》の函館大火(はこだてたいか)にあった子(こ)どもたちを元気(げんき)づけるため、全国(ぜんこく)から寄(よ)せられた本(ほん)も多(おお)くふくまれています。当時(とうじ)の市立函館図書館(しりつはこだてとしょかん)の岡田健蔵館長(おかだけんぞうかんちょう)が全国(ぜんこく)の図書館(としょかん)を通(つう)じて本(ほん)を送(おく)ってくれるよう呼(よ)びかけ、旧満州(きゅうまんしゅう)《現中国東北地方(げんちゅうごくとうほくちほう)》や台湾(たいわん)など当時(とうじ)の日本(にっぽん)の植民地(しょくみんち)の小学生(しょうがくせい)からも集(あつ)まりました。そのうちの一部(いちぶ)が図書館(としょかん)の貸(か)し出(だ)しに使(つか)われた後(あと)、屋上(おくじょう)の書庫(しょこ)で保管(ほかん)されたとみられています。

 道内最古(どうないさいこ)の児童雑誌(じどうざっし)もここで見(み)つかりました。旭川(あさひかわ)の少年新報社(しょうねんしんぽうしゃ)が1909年《明治(めいじ)42年》に発刊(はっかん)した「少年(しょうねん)の北海(ほっかい)」です。小説(しょうせつ)や伝記(でんき)などの読(よ)み物(もの)と、読者(どくしゃ)の投(とう)こうで構成(こうせい)されていました。ほかにも、1910年発刊(はっかん)の「後志学(しりべしがく)の友(とも)」、1921年《大正(たいしょう)10年》発刊(はっかん)の「北海道小学新聞(ほっかいどうしょうがくしんぶん)」、1922年発刊(はっかん)の「函館(はこだて)の小学生(しょうがくせい)」など、道内各地(どうないかくち)で発行(はっこう)された児童雑誌(じどうざっし)があります。  児童(じどう)向(む)けまんがは60点(てん)。今(いま)の小学生(しょうがくせい)も読(よ)め、参考(さんこう)になりそうなものをしょうかいします。

 まずは、1927年《昭和(しょうわ)2年》出版(しゅっぱん)の「素戔鳴命(すさのおのみこと)」《穂積稲天(ほづみとうてん)》。日本(にっぽん)の神話(しんわ)をしょうかいした古事記(こじき)の内容(ないよう)が分(わ)かりやすくかかれていて、カラー印刷(いんさつ)の絵(え)もきれいです。

 函館(はこだて)生(う)まれの岡本一平(おかもといっぺい)による「平気(へいき)の平太郎(へいたろう)」は、モモの種(たね)をのみこんだ平太郎(へいたろう)の背中(せなか)から木(き)が生(は)え、その姿(すがた)のまま数々(かずかず)の冒険(ぼうけん)をする物語(ものがたり)。物事(ものごと)にこだわらない平太郎(へいたろう)の人(ひと)がらに引(ひ)きつけられます。岡本(おかもと)は絵(え)と文(ぶん)が一体(いったい)となった「漫画漫文(まんがまんぶん)」という新(あたら)しいジャンルを立(た)ち上(あ)げました。

 田河水泡(たがわすいほう)の「のらくろ」シリーズは、1931年から雑誌(ざっし)「少年倶楽部(しょうねんくらぶ)」に「のらくろ二等兵(にとうへい)」として連(れん)さいがスタート。黒(くろ)い野良犬(のらいぬ)の「のらくろ」が猛犬連隊(もうけんれんたい)に入(はい)り、失敗(しっぱい)をくり返(かえ)しながら成長(せいちょう)します。連(れん)さいは10年間(かん)続(つづ)き、のらくろの階級(かいきゅう)も上(あ)がっていきました。

 中国(ちゅうごく)と軍事的(ぐんじてき)にしょうとつした1931年の満州事変(まんしゅうじへん)のころからは、まんがにも戦争(せんそう)のかげが落(お)ちます。1932年に発行(はっこう)された「少年兵隊(しょうねんへいたい) 爆弾漫画三勇士(ばくだんまんがさんゆうし)」《荒井一寿(あらいかずとし)》の主人公(しゅじんこう)はデブ、ホソ、チビの3少年(しょうねん)で、戦地(せんち)に行(い)って敵(てき)の首(くび)を切(き)り落(お)としたり、最後(さいご)はばくだんをかかえて自(じ)ばくするなど、残(ざん)こくな場面(ばめん)もかかれました。

 これらの資料(しりょう)の目次(もくじ)は、インターネットの「北海道児童雑誌(ほっかいどうじどうざっし)データベース」(http://www.h-bungaku.or.jp/hakodate_jido_zasshi/index.html)として公開(こうかい)しています。函館市中央図書館(はこだてしちゅうおうとしょかん)で見(み)るには、1週間前(しゅうかんまえ)までの予約(よやく)が必要(ひつよう)です。予約(よやく)、問(と)い合(あ)わせは(電)0138・35・6800《水曜休館(すいようきゅうかん)》へ。

【児童文学者 柴村紀代さんに聞く】 戦争良いとする内容も

 資料(しりょう)のうち、児童(じどう)まんがの整理(せいり)と分(ぶん)せきをした札幌(さっぽろ)の児童文学者(じどうぶんがくしゃ)、柴村紀代(しばむらきよ)さん(64)=写真(しゃしん)=に、この時代(じだい)のまんがの特(とく)ちょうを話(はな)してもらいました。


柴村紀代(しばむらきよ)さん
 まんがは初(はじ)め、歴史物(れきしもの)を客(きゃく)に読(よ)み聞(き)かせる「講談(こうだん)」のえいきょうで、主人公(しゅじんこう)が修業(しゅぎょう)したり、各地(かくち)を旅(たび)したりする話(はなし)が多(おお)かった。やがて、奇想天外(きそうてんがい)なあらすじや、「のらくろ」のような動物(どうぶつ)まんがが生(う)まれてきます。

 のんきで愉快(ゆかい)な児童(じどう)まんがも、1931年の満州事変(まんしゅうじへん)からは、戦争(せんそう)をえがいた内容(ないよう)が増(ふ)えました。まんがならではのおおげさな表現(ひょうげん)で、戦争(せんそう)を良(よ)いものとするメッセージを子(こ)どもたちに伝(つた)えることになりました。

 子(こ)ども向(む)けまんがや雑誌(ざっし)は消(しょう)もう品(ひん)あつかいされることが多(おお)く、保管(ほかん)する図書館(としょかん)が少(すく)なかった。函館(はこだて)に残(のこ)っていたおかげで、初期(しょき)のまんが研究(けんきゅう)に役立(やくだ)ちます。



<通信員リポート> かるた大会に初の出場

 熊倉万智(くまくらまち)《留萌管内初山別村(るもいかんないしょさんべつむら)・初山別小(しょさんべつしょう)5年》

 私(わたし)は百人一首(ひゃくにんいっしゅ)のかるたが好(す)きです。木札(きふだ)を相手(あいて)より素早(すばや)く取(と)れると、うれしいです。

 私(わたし)の住(す)む留萌管内初山別村(るもいかんないしょさんべつむら)は、かるたが盛(さか)んです。留萌管内中部(るもいかんないちゅうぶ)3町村(ちょうそん)の「子(こ)ども会(かい)かるた大会(たいかい)」は3人(にん)一組(ひとくみ)のチームで対戦(たいせん)し、初山別村(しょさんべつむら)のチームが何度(なんど)も優勝(ゆうしょう)し、全道大会(ぜんどうたいかい)に出場(しゅつじょう)しています。

 今年(ことし)の地元(じもと)の大会(たいかい)は15日に開(ひら)かれ、私(わたし)も初(はじ)めて出場(しゅつじょう)しました。1回戦(かいせん)と2回戦(かいせん)に勝(か)ちましたが、準決勝(じゅんけっしょう)と3位(い)決定戦(けっていせん)で負(ま)けてしまいました。しかし、チームのみんなが初出場(はつしゅつじょう)だったので、健(けん)とうしたと思(おも)います。

 練習(れんしゅう)は3月末(すえ)まであるので、もっとうまくなれるようにがんばりたいです。



<ニュース教室> J大宮の好プレー がんの選手と再び契約

 J(ジェイ)リーグの大宮(おおみや)アルディージャに、がんとたたかいながら再起(さいき)を目指(めざ)す選手(せんしゅ)がいる。ディフェンダーの塚本泰史選手(つかもとたいしせんしゅ)だ。先(さき)ごろ、大宮(おおみや)が今年(ことし)も選手(せんしゅ)としての契約(けいやく)を結(むす)んだというニュースが届(とど)いた。リハビリを続(つづ)けている塚本選手(つかもとせんしゅ)には、何(なに)よりのはげましになるね。

 塚本選手(つかもとせんしゅ)は埼玉県出身(さいたまけんしゅっしん)の25歳(さい)。2009年はJ(ジェイ)リーグ1部(ぶ)で21試合(しあい)に出場(しゅつじょう)し、今後(こんご)が期待(きたい)されていた。ところが昨年(さくねん)の1月に右足(みぎあし)に「骨肉(こつにく)しゅ」が見(み)つかり、プレーを続(つづ)けることができなくなってしまった。

 「骨肉(こつにく)しゅ」は骨(ほね)にできるがん。発生率(はっせいりつ)は低(ひく)いけれど、若(わか)いうちにかかることが多(おお)いんだ。その後(ご)、塚本選手(つかもとせんしゅ)を支(し)えんしようと全国(ぜんこく)のJ(ジェイ)リーグのチームが募金(ぼきん)を行(おこな)い、合(あ)わせて2340万円(えん)が集(あつ)まった。コンサドーレ札幌(さっぽろ)の選手会(せんしゅかい)も41万円(えん)をおくったんだよ。

 塚本選手(つかもとせんしゅ)は「病気(びょうき)になって、人(ひと)の優(やさ)しさ、温(あたた)かさをあらためて知(し)った」と話(はな)している。昨年(さくねん)3月に手術(しゅじゅつ)を受(う)け、足(あし)のがんを取(と)り除(のぞ)いて、代(か)わりに人工(じんこう)の骨(ほね)や関節(かんせつ)を入(い)れた。まだ走(はし)ることはできないけれど、歩(ある)けるまでに回復(かいふく)したので、大宮(おおみや)は再(ふたた)び選手(せんしゅ)として契約(けいやく)することを決(き)めたんだ。ニュースを聞(き)いた人(ひと)の気持(きも)ちが温(あたた)かになる好(こう)プレーだね。塚本選手(つかもとせんしゅ)もがんに打(う)ち勝(か)って、またグラウンドに立(た)ってほしいな。

《編集委員(へんしゅういいん) 森川潔(もりかわきよし)》

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