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オホーツク人の生活学んだよ 網走(あばしり)・モヨロ貝塚(かいづか)館見学/通信員だより (2014/12/13)

海洋狩猟(しゅりょう)をして生活するオホーツク人を再現(さいげん)した人形。通信員は米村館長(左)に案内してもらいました

頭につぼをかぶせるオホーツク人独特(どくとく)の埋葬(まいそう)

模型(もけい)で再現(さいげん)されたクジラ漁の様子

 5世紀ごろから9世紀ごろにかけ、道北、道東のオホーツク海沿岸(えんがん)にアザラシやクジラなどの海獣(かいじゅう)を食べて暮(く)らすオホーツク人がいました。フムフム通信員の竹川徳之丞(たけかわとくのすけ)君=北見市・東相内(ひがしあいのない)小5年=は、その生活や文化が初めて確認(かくにん)された国指定の史跡(しせき)・モヨロ貝塚(かいづか)を紹介(しょうかい)する「モヨロ貝塚(かいづか)館」《網走(あばしり)市北1東2》を見学し、オホーツク人について学びました。《文・伊藤友佳子(いとうゆかこ)、写真・小葉松隆(こばまつたかし)》

舟(ふね)に乗り、海で狩(か)り 頭につぼかぶせ埋葬(まいそう)

 竹川(たけかわ)君はきょうだい2人と訪(たず)ね、米村衛(よねむらまもる)館長に案内してもらいました。

 モヨロ貝塚(かいづか)はオホーツク海に注ぐ網走(あばしり)川の河口(かこう)近くにあるオホーツク人の集落跡(あと)。1913年(大正2年)に発見されました。

 オホーツク人とはどんな人だったのでしょうか。館内には、木をくりぬいてつくった舟(ふね)に乗り、海獣(かいじゅう)を捕(つか)まえるもりを手にしたオホーツク人を再現(さいげん)した人形が展示されています。身長は約160センチと小柄(こがら)ですが、顔幅(かおはば)が広く、勇ましくみえます。ふわふわのアザラシの毛皮の服を着ています。

 「顔の形は私(わたし)たちと少し違いますね」。米村(よねむら)さんがこう説明(せつめい)するように、オホーツク人はサハリンなど北方から渡(わた)ってきた渡来(とらい)説が有力です。当時、道内で暮(く)らしていた土着の擦文(さつもん)人とは異(こと)なる海洋狩猟(しゅりょう)民族でした。

 航海技術(ぎじゅつ)を持ち、オホーツク海で漁をして生活していました。アザラシやクジラ、オットセイなどを、もりで捕(つか)まえていました。その先端部(せんたんぶ)には削(けず)ってとがらせた海獣(かいじゅう)の骨(ほね)を取り付けていました。釣(つ)り針(ばり)も同様に骨(ほね)でつくりました。

 貝塚(かいづか)からは海獣(かいじゅう)の骨(ほね)のほか、カキやホタテなど多くの貝殻(かいがら)が見つかり、魚介類(ぎょかいるい)を食べていたことが分かりました。犬の骨(ほね)も発見されました。「犬は普段(ふだん)、オホーツク人と一緒(いっしょ)に過(す)ごしていましたが、非常食(ひじょうしょく)にもなりました」。米村(よねむら)さんがこう説明すると、竹川(たけかわ)君は「一緒(いっしょ)に暮(く)らす仲間なのに…」と驚(おどろ)き、言葉を失いました。

 発掘調査(はっくつちょうさ)を元に、モヨロの集落を再現(さいげん)したミニチュア模型(もけい)も展示(てんじ)されています。二つ並(なら)んでいる家は半地下式の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)です。大きい家は実際(じっさい)には約70畳(じょう)もあり、親族の4、5家族の計20〜25人が住んでいました。集落の人口は約50人だったようです。模型(もけい)を望遠鏡でのぞきこむと、海岸でクジラ漁をしたり、林で木の実を集めたりする様子がリアルに再現(さいげん)されています。

 墓地(ぼち)を復元(ふくげん)したコーナーもあります。オホーツク人には、亡(な)くなった人をあおむけにして手足を折り曲げ、さらに頭につぼをかぶせて土中に埋葬(まいそう)する習慣(しゅうかん)がありました。底が開いているつぼもあり、のぞくと亡(な)くなった人の頭が見えます。米村(よねむら)さんは「頭につぼをかぶせ、お墓(はか)に埋(う)めていた民族は世界でもオホーツク人しか確認(かくにん)されていません。ただ、なぜそんな埋葬(まいそう)をしたのか、その理由は分かっていません」と話しました。

 少数だったオホーツク人は10世紀ごろ突然(とつぜん)、姿(すがた)を消しました。道内にいた擦文(さつもん)人と血縁(けつえん)関係を結ぶうちに消滅(しょうめつ)したとする融合説(ゆうごうせつ)が有力ですが、今なお多くのなぞに包まれています。竹川(たけかわ)君が「オホーツク人はどこへいってしまったのか、不思議です。新しい発掘(はっくつ)結果が出たら、また勉強に来ます」と、太古のロマンに思いをはせ、目を輝(かがや)かせていました。



<通信員だより>元気な金魚 家族の一員

田中謡子(たなかようこ)《小樽(おたる)市・潮見台(しおみだい)小5年》

 私(わたし)は金魚を1ぴき飼(か)っています。金魚を飼(か)うのは、これで5ひき目です。4ひきは病気で死んでしまいました。今飼(か)っている金魚は1度病気になったことがありますが、すぐに治りました。あまり病気にならないのは、えさをたくさん食べているからなのかなあと思います。

 金魚はえさを食べる時間になると、ソワソワしています。私(わたし)がえさをあげるのを忘(わす)れておそくなった時は、すごくおこっているように見えます。今まで飼(か)ってきた4ひきよりもすごく人なつっこいですが、それは「えさがほしい」とおねだりしているんじゃないかと思います。

 金魚はインテリアとして飼(か)われたりもしていますが、私(わたし)にとって金魚は小さくても家族の一員です。

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