どうしんウェブ 北海道新聞

  • PR

  • PR

ファイターズ 奪冠の軌跡

上.【激震】 インフル禍乗り越え (2009/10/14)

インフルエンザの集団感染が判明し、マスク着用で旭川スタルヒン球場に入る選手たち=8月19日

 ベンチ裏に異変が起きた。8月18日、旭川スタルヒン球場。プレーボール直前だというのに、選手、コーチ約10人が次から次に病院へ向かうタクシーに乗り込んでいく。最終的に5人が陽性と判定された新型インフルエンザの集団感染。首位独走で「敵なし」に見えた日本ハムは、予期せぬ難敵と組み合った。

 開幕から勝ち星を積み重ね、夏に入ると勢いは一段と加速。8月もインフルエンザ集団感染が判明する前日まで10勝4敗、貯金は今季最多の26に達した。

 災いの予兆は8月16日、新人大野の感染。この時点でチームにまん延への危機感は薄かったが、旭川で試合があった2日後の18日、事態は一気に暗転。体調不良を訴える選手らが相次ぎ、試合前練習には参加していたスレッジを含む4人の感染が分かった。翌日には、検査で陰性だった糸井、小谷野ら6人も発熱などで試合に出場できない状態に。

 もともと「選手の疲れが一番、たまっていて、気持ちを張っているから持っているような時期」(大村打撃コーチ)。活力が落ちた選手にとって、インフルエンザはまさに「泣き面にハチ」だった。

 「また感染者がいたらどうしようとか、悪いことばかり考えた1週間だった」。梨田監督がこう振り返った窮地。打線は最大でレギュラーのほぼ半数が欠けた。集団感染での離脱が始まってから得点は5戦連続で3点以下。直前の10試合の平均4.6点から急落し、6連敗を喫した。

 明白な戦力ダウンに「プロ野球界の一大事」(高橋)という未体験の衝撃が相まって、重い空気が満ちた。

 だが選手は十分な「回復力」を持ち合わせていた。離脱者がほぼ戻った8月26日に連敗を脱出すると、そこから4連勝。同28日には優勝へのマジックナンバー29を点灯させた。

 戦線を離れた選手も心は闘っていた。隔離先の札幌市内の選手寮でテレビ前に集い応援。そこから一足早く回復し、遠征に加わった二岡は「札幌残留組のみんなも、あのヒットで少しは元気になってくれたかな」。直後の安打にそんな思いを口にした。2年目宮西は自分に代わり1軍に上がった若手の活躍に、ライバル心を燃やし奮起した。

 2年ぶりの優勝を果たした今、あの産みの苦しみはチームの血となり肉となったといえる。(木津谷学)


 今季の日本ハムは一時、独走態勢に入っていた。2位に最大7ゲーム差をつけ、さらに貯金を積み上げていくかと…。だが“野球の神様”は試練も用意していた。順風満帆なゴールインでは物足りないとでも言いたげに。優勝への道のりをたどった。

mobile
このページの先頭へ